自民党内で嫌われ者だからこそ支持される「石破茂首相」の“ジレンマ”…総理就任で生じた深い“悩み”の正体
派閥の重鎮に説教される
「石破さんが自民党で嫌われているという記事で目立つのが、『頭脳明晰な政策通かもしれないが、人間的魅力には乏しい』という指摘です。他にも『党の長老にゴマすりをしないので、敬遠されている』、『かわいげがない』、『酒を一緒に飲んでも楽しくない』という自民党議員の証言を詳細に伝えた新聞社もありました。やはり石破さんの性格に問題があるというわけです」(同・記者) 石破氏が重鎮に説教されたこともある。自民党総裁に返り咲いた安倍氏は、石破氏に幹事長就任を打診、これを石破氏は快諾した。 幹事長に就任すると、石破氏は自民党の総裁と幹事長の経験者に挨拶回りを行った。その時に説教されたと朝日新聞が報じている(註)。 「元幹事長の一人で伊吹派の会長だった伊吹文明さんの元を石破さんは訪れました。すると伊吹さんは『(長老への)配慮が足りないから嫌われるんだぞ』、『まずは我を抑えなさい』と50分間にわたって説教したのです。石破さんが党改革に力を入れていることも批判し、『持論を言う前に党内をまとめるのが幹事長の役割だ』と苦言。朝日新聞は、石破さんが《反論せずに聴き入り、神妙な表情で部屋を後にした》と伝えました」(同・記者)
昭和の自民党に存在した美徳
政治アナリストの伊藤惇夫氏は「マスコミが報じた『石破さんが自民党で嫌われている理由』は、当たっているものもありますが、首を傾げたくなるものもあります」と言う。 「安倍政権時代、石破さんのことを『前科一犯のくせに』と苦々しく言う自民党の国会議員が散見されました。自民党を離党したことが“前科一犯”というわけです。安倍さんが首相に返り咲くと、自民党は『官邸の指示は何でも丸のみする』という組織に変貌しました。そうした組織風土に異議を唱えていたのが石破さんと、今回の組閣で総務相に就任した村上誠一郎さんでした。すると石破さんと村上さんには『後ろから弾を打つのか』とさらなる批判が殺到するという具合だったのです」 伊藤氏は石破氏と村上氏が党内で批判されていたことを、「従来の自民党が持っていた精神からすると、おかしな話だと思います」と言う。 「かつての自民党が持っていた美徳は、とにかく内部での議論が活発だったことでした。首相の出身派閥を中心に主流派が作られると、他の議員は非主流派を結成して対抗しました。自民党政権に自民党の議員が楯突くことは当たり前の光景だったのです。例えば1979年10月の衆院選で自民党は敗北し、非主流派は大平正芳首相の退陣を求めて“40日抗争”が起きました。つまり昔の自民党には無数の石破さんが存在していたと言えます」