ありうるかも「意識が宇宙と一体化」する未来…「SFに描かれた脳」を検証して見えてきた「衝撃の光景」
SFで描かれている未来図と、脳に関する今日の技術
こうした未来のヴィジョンは、しばしば、空想科学小説=SFという形で描かれてきた。 たとえば、いまでは誰もがスマートフォンで手軽にビデオ通話を行うことができるが、ほんの40年前には、それはSFの中にしか存在しない技術だった。SFは決してファンタジーではなく、科学的な理屈をともなったものである。展開されるストーリーが、その作家が設定した世界観やルールと矛盾がないかを確かめながら読み進めるのは、知的なゲームのようで楽しい。 そしてSFを読むことは、未来にどのような技術が実現可能かを示唆する羅針盤を手にすることでもある。なかでも宇宙と並んで昔からしばしばSFのテーマとされてきたのが、「脳」である。私たち人間を人間たらしめてきた脳は、それだけで非常に興味深く、豊かなイマジネーションをかき立てられる存在だからだろう。 しかも、脳に関する技術は私たちの生き方や存在自体にも直結するだけに、SFで描かれている未来図がはたして実現可能かどうかは、多くの人の関心を引きつけるのだろう。
ありうるかもしれない「想像超えるヴィジョン」
とくに、私たちの脳を際立たせる「意識」という機能は、神経科学者たちをも魅了しつづけている。 アーサー・C・クラークの古典的名作『幼年期の終わり』では、地球が崩壊したのち、進化した人類が「個」としての存在を超えて集合的な「意識体」(“オーバーマインド”)と融合し、宇宙と一体化する。“人類の子供”たちは思考を超越し、物理的な制約や、時間の概念すら無意味となる純粋な「存在」の形をとる。私たちの想像をはるかに超えるヴィジョンだが、私はありえない未来だとは思っていない。 このたび、筆者が上梓した『SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか』では、古今東西のSF作品の中から脳を題材にした名作を取りあげて、その実現可能性について、考察を試みることにした。作家の想像力が紡ぎだした未来と、科学者としての筆者の視点が対峙(たいじ)するという意味では、これも一つの知的ゲームといえるかもしれない。 『SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか』は科学と空想を織り交ぜた、いわば脳についての思考実験といった趣きで書かれているが、「SFに描かれた脳」と比較して「リアルな脳」では、どこまでが可能で、どこから不可能なのかを知ることで、現在の科学で理解されている脳の特性を知ることができるよう構成したつもりである。また、世の中に広まっている脳についての誤解や、いわゆる「都市伝説」を払拭する一助ともなることを期待している。 また、神経科学の分野では、動物の脳の特定の機能をもつ領域を操作する実験が、日常的に行われている。「生物の進化が起こるのは100万年単位」と最初に述べたが、こうした技術を人間の脳に応用して、脳を「人工進化」させることはすでに視野に入ってきている。 では、私たちはこれから、脳をどのような方向に「進化」させればいいのか。今回の『SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか』が、そんな未来の可能性について考えるための手がかりにもなればと願っている。それでも、もし、まだ本書を手に取ることに迷っているようならば、これから紹介していく記事で、未来の可能性を考えるヒントにしてほしい。 SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか 神経科学者として、脳の覚醒にかかわるオレキシンや、「人工冬眠」を引き起こすニューロンを発見する一方で、大のSFファンでもある著者が、古今の名作に描かれた「SF脳」の実現性を大真面目に検証! そこから、私たちの「リアル脳」の限界と、思いもよらなかった可能性が見えてくる!
櫻井 武(医学博士・筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 副機構長)