ロシアより愛をこめて…黒塗りの救急車まで持ち込んだプーチン「北朝鮮&ベトナム訪問」現地ルポ
ロシアから総勢13台の関係車両を持ち込み……緊張に包まれた現地を取材
’24年6月18日~6月20日、ロシアのプーチン大統領が北朝鮮とベトナムを歴訪し、共に国賓としての接遇を受けた。 プーチン大統領が持ち込んだ高級車の数々&歓迎ムードの現地写真 しかし当の本人は北朝鮮を現地時間の6月19日の午前2時45分頃に到着し6月19日の23時頃に出発、ベトナムには現地時間の6月20日の午前2時頃に到着し、6月20日の24時前の帰国となった。 プーチン大統領は昔から大の遅刻魔なのである。過去にも相手がローマ法王だろうと誰であろうと関係のない遅刻ぶりを発揮しており、意図的に遅刻しているともいわれるその戦法はプーチン本人のみぞ知ることだ。 筆者はベトナム・ハノイでプーチンの取材を行った。6月19日の23時頃に大統領が宿泊するホテルのソフィテルレジェンドメトロポールハノイ周辺へ展開した。このホテルは’19年2月に米朝首脳会談が行われた場所でもある。 日付の変わった6月20日午前1時頃より警察官らが沿道に配置され始めた。プーチン大統領を一目見ようと集まった市民が深夜にもかかわらず多数いたが、警察官らが帰宅を命令し、あっという間に街はゴーストタウンの様相に。 そう、ベトナムは観光等で柔和なイメージがあるが、今もなお社会主義国である。日本のように警察官に盾突くことは許されず、そのようなことをしたらすぐに拘束されてしまうため、市民らは従わざるを得ないのである。 しかしながら、続々と集まった一眼レフなどを持った現地メディア(であると推測される)や一眼レフを2台ぶら下げた筆者はプレス証等を首から下げていなかったが、全くのお咎めもなくその場にいることができ、到着時の取材を行うことができた。かといって所持品検査や身分証の確認も一切ないユルユルな感じだ。ユルいのか厳しいのかイマイチハッキリしない警備体制である。 そして朝を迎えた午前10時頃、ベトナム政府の歓迎式典出席のためプーチン大統領がホテルを出発する際、早朝と同じ場所にもかかわらず、一般市民や外国人観光客も撮影等が許されその場に留まることが許された。 12時になり、いざ大統領の車列が差し掛かると、筆者の近くでレポートを始めた日本のテレビ局レポーターが私服警察官にレポートをやめて移動させられるなど(撮影自体の制限はなかった)緊張に包まれた現場だった。 他の場所では他国のメディアは撮影禁止でその場から離れるように言われたなど、場所や担当者による差が浮き彫りとなった。 そして今回目立ったのは、プーチン大統領がロシアより持ち込んだ専用車等の数々だ。 ’19年にG20大阪サミット出席のため来日した際は専用車2台、警護車4台の計6台となったが、今回は専用車1台、警護車7台、他にもラブロフ外相ら閣僚が乗るバンなど計5台の関係車両を持ち込んでおり、総勢13台がモスクワよりハノイに持ち込まれていた。 中でも気になったのが黒塗りの救急車だ。ロシア国内では昔から大統領の車列に救急車(黒塗りのバン)が随行している様子が何度も確認できたが、プーチン大統領が外遊の際にこのような車両を訪問国へ持ち込むのは前例がなく、プーチン大統領の健康面や襲撃の際の緊急処置も念頭に置いたものなのかもしれない。 歓迎行事や首脳会談出席後、プーチン大統領はホーチミン廟などで献花を行い、夕方にはハノイ国立歌劇場での晩さん会に出席後、24時前にベトナムを出発し帰国の途に就いた。ベトナム市民に今回のプーチン大統領訪問について話を聞いた。 現場で取材をしていた20代のベトナム人カメラマンは「今までアメリカなど西側諸国と足並みを揃えていたベトナム政府がプーチン大統領と会うということになり、今後が心配。破滅の道に進まなければいいが」と話す。 また、ベトナムとロシア国旗をもって歓迎していた50代の女性は「ベトナムとロシアの関係は素晴らしい。もっと仲良くなってほしい」と興奮した様子だった。プーチン大統領のしたたかな外交は今後も活発化するかもしれない。 撮影・取材・文:有村拓真
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