暗渠道から歴史を紐解く!京都を支え街が繁栄した"琵琶湖疏水"とは
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、川が流れていた場所の上にできた"暗渠道(あんきょみち)"をこよなく愛する道マニア歴15年の髙山英男さんが、"琵琶湖疏水"から京都が繁栄した歴史の紐を解きます。 【動画】京都の歴史的大事件の舞台!“琵琶湖疏水”から通じる暗渠道は【18分35秒~】
琵琶湖の水を京都へ 豊かな水が街を発展させた"琵琶湖疏水"
かつて平安京として日本の首都に定められ、政治・文化の中心地として栄えた京都。その繁栄の理由の1つと言われるのが、大きな川の存在です。鴨川や桂川に挟まれた平安京は水路の要衝となり、多くの人や物資が出入りすることで商業・工業の都市として発展したと言われています。 (道マニア・髙山英男さん) 「京都といえば、今や日本を代表する観光地ですが、昔からいろいろ問題を抱えていた。特に、東京に首都が移った時、人口が3分の2に減少したり、数々の産業が衰退したり。水不足にも悩まされていた。そんな弱り切ってしまった京都の一発大逆転の施策が、"琵琶湖疏水(そすい)"」 髙山さんは旅のお供である一般男性と一緒に、京都を劇的に変えたと言われる"琵琶湖疏水"の暗渠道を巡りながら、街が繁栄した歴史の紐を解いていきます。 滋賀県大津市と京都を繋ぐ人工の水路"琵琶湖疏水"は明治14年、琵琶湖から水を引き入れるため北垣国道(きたがきくにみち)京都府知事によって計画されました。工事には京都府予算2年分、現在価値で約1兆円を費やし、作業員約400万人、約5年に及ぶ難工事の末、明治23年に完成。 第1疏水、第2疏水、疏水分線などから成る"琵琶湖疏水"は、季節や年によって水量が不安定だった京都に、琵琶湖から安定した水の供給に成功。今も1日約200万トンもの水が運ばれています。 そんな"琵琶湖疏水"を知る上で重要なポイントがあるという、京都市左京区の「南禅寺(なんぜんじ)」へ。現れたのは、明治21年竣工の水路橋「水路閣」。「南禅寺」の境内には美しいアーチが目を引く「水路閣」があり、上部の水路を流れていく水を見ることができます。