暗渠道から歴史を紐解く!京都を支え街が繁栄した"琵琶湖疏水"とは
賀茂川の下を流れていた疏水分線 「白川疏水通り」の暗渠道
"琵琶湖疏水"の誕生により最も人々の暮らしを変えたのが、当時の最先端技術であった水力発電。また、工場の機械化が進み、日本初の路面電車も運用されるなど京都の街を大きく発展させました。 さらに、電力を利用してケーブルカーのように走らせる鉄道「インクライン」も誕生。高低差のある斜面を台車に乗って移動できる画期的な輸送手段で、人々の生活文化の向上に大いに貢献したと言われています。 (道マニア・髙山英男さん) 「琵琶湖の水が水路閣の上を流れていきますが、一部暗渠になっている道があるので、その暗渠道をご案内したい」 2人が訪れたのは、京都御所の北に位置する「白川疏水通り」。西へ進むと、水路が開渠から暗渠へと変わります。さらに暗渠道を辿り、北大路通(きたおおじどおり)を横断。賀茂川(かもがわ)方面へ向かうと、水門が見えてきます。 (道マニア・髙山英男さん) 「サイホン式といって、賀茂川の下をくぐり抜けて向こう側に行く水路になっている。姿は見えないけど、生き続けている証拠」
琵琶湖疏水から通じる「小川」の暗渠道
その後も2人は暗渠道を辿り、堀川紫明(ほりかわしめい)交差点に到着。 (道マニア・髙山英男さん) 「疏水は一旦ここで終わりですが、この疏水が旧・堀川と旧・小川(こかわ)に接続していた。次は旧・小川の跡を通ってみたい」 小川は地下に移し替えられず、今では一部を除きほぼ埋め立てられているとのこと。2人が小川通をたどっていると、扇町児童公園に橋の土台の一部を発見!高山さんは、「この上に欄干があったと考えられる」と言います。 また、小川通と寺之内通が交わる場所には、かつて小川に架かっていた「百々橋(どどばし)」の礎石が今も置かれています。 その後、小川から堀川(ほりかわ)へ辿りつつ、京都駅近くの七条堀川交差点へ。線路で一旦途切れるものの、小川の暗渠道は西高瀬川までつながっているそうです。 7月9日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より
CBCテレビ