<日本刀のいま>刀を捨てなかった日本人 時代とともに変わったものと守られてきたもの
「クールジャパン」の代表といえば、やはり今も昔も「サムライ」だろう。そして、彼らの魂といえば「サムライ・ソード」、日本刀だ。サムライが丸腰の「サラリーマン」に変わった現代においても、日本刀の伝統は脈々と受け継がれている。今も全国に刀工がおり、日々鍛錬を重ねて作品を生み出しているのだ。 そんな現代の新作日本刀の優秀作品を集めた『日本刀の匠たち』展が8月31日まで、長野県坂城町の「鉄の展示館」で開かれている。知る人ぞ知る現代の「刀匠の里」を訪れ、現代の日本刀事情に触れた。
現代刀の「聖地」
坂城町は長野市の南に位置する千曲川沿いの静かな町だ。長く村上氏の領地として歴史を重ね、村上義清の代には同町の葛尾城を拠点に甲斐の武田信玄と多くの名勝負を演じた。江戸時代には徳川幕府の天領となり、宿場町としても栄えた。 本格的に刀作りが始まったのは、後に「人間国宝」となる刀匠・宮入行平(ゆきひら)を輩出した昭和に入ってからだ。行平は戦前戦後を通じて新作展で入賞を重ね、現代作刀界の第一人者とされている。町の中心部にある鍛錬所「宮入鍛錬道場」から幾多の名刀を世に送り出すとともに、多くの門下生を育てた。行平が昭和52年に急逝した後は、息子の恵(宮入小左衛門行平)氏が受け継いでいる。 日本刀は日本全国で作られてきたが、歴史的には特に大和(奈良)、山城(京都)、備前(岡山)、相州(神奈川)、美濃(岐阜)の「五箇伝」と呼ばれる五大流派が有名である。それに対し、昭和以降の「現代」でリアルタイムに歴史を紡ぐ信州・坂城町は、いわば「現代刀の聖地」だと言えよう。
『日本刀の匠たち』は、公益財団法人日本刀文化振興協会が主催する「新作日本刀研磨外装刀職技術展覧会」の入賞作品展だ。これまでは東京で開かれていたが、5回目の今年は初めて行平の業績を讃えて作られた坂城町の「鉄の展示館」に会場を移した。 日本刀は、刀身と鍔(つば)、鞘(さや)、柄(つか)などの外装品に分かれ、それぞれに専門の職人がいる。新作技術展も「研磨」を加えた各部門で審査を行う。展覧会には各部門の入選作と審査員の作品を合わせた80点が展示されている。