「毎月30万円お渡しできます」オバ記者が約40年前の苦境時に“怪しいバイト”に応募した顛末 そこで学んだ「顔の見えない人と仕事をしたらダメ」の教訓
前歯が半分欠けている男が差し出した名刺
切羽詰まった事情を察してもらって私が涙ぐんだとでも思ったのか、目玉男はしんみりした声で「事情、聞きますよぉ」と言うんだけどさ……。 そうじゃない。前歯が半分欠けている男の顔を正面から見たくなかったんだって。差し出した名刺には「代表取締役社長」と書いてあるけど、合成皮革の黒靴に綿ポリの横縞ポロシャツというのもどうよ。 「ありがとうございます」と言って黙っていると、男は私の前にパンフレットをやおら広げながら、「この美顔器を友達や親戚に売ってくれればいいんです。売り上げの半分があなたの取り分です」と言うんだけど、値段は34万円で、写真に写っている商品はどう見ても劣悪そのもの。「誰がこれを買うんですか?」という言葉をグッと飲み込んだのは、そのとき事務所に目玉男と私の2人きりだったからよ。 押し黙っている私が仕事を引き受けると踏んだのか、男は矢継ぎ早に「それでは、仕事を始める前にこちらに住所と電話番号を書いてください。大事な商品をお預けするので、健康保険証とか運転免許証もお願いね」と私の前にペラリと一枚の紙を置いたの。 いよいよ待ったなし! どうやってもここを抜け出さねばならん──と思ったとたんよ。 「あの、実は同居している男が交通事故に遭って、いま意識がないんです。検査次第では長期入院になるか、悪くすると……。その結果が明日出るので、いてもたってもいられずこちらに電話をしました」という言葉が私の口をついた。 「なので、いろいろ決めるのは、明日の午後にもう一度来たときでいいですか」 と、まぁ、これ以上ない哀れな声を出したわけ。ついでに「もし何があっても××さんと仕事ができるなら大丈夫ですよね。勇気が湧いてきました」とヨイショも添えて。
「そっか。あんたも大変だねぇ。じゃ、明日、電話待っているからね」と男は私を解放してくれたんだけど、本当に怖くなったのはドアの外に出たときだ。男は私が逃げないように、内側から2か所、ドアの鍵をかけていたの。 あれから約40年が流れて、テレビでは闇バイトのニュースが連日流れている。捕まった姿を映し出されるのは、事件の凶悪さと半人前の顔つきが一致しない若造ばかりだ。「こんな子が強盗殺人? なんで?」と毎回首をヒネってしまう。 あのときの私は、男の欠けた前歯をひと目見て「ヤバい!」と察して逃げたけど、いまは採用から現場の指示まですべてSNSで、主犯格の顔は見えないままだ。「顔の知らない人について行っちゃダメ」の次は、「顔の見えない人と仕事をしたらダメ」と教えないといけない時代なのかもね。 【プロフィール】 「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。 ※女性セブン2024年11月28日号