医師の夫と渡米した日本人妻の”衝撃体験”! 私には意味不明な言葉を長女がスラスラと…
定年前の50代で「アルツハイマー病」にかかった東大教授・若井晋(元脳外科医)。過酷な運命に見舞われ苦悩する彼に寄り添いつつ共に人生を歩んだのが、晋の妻であり『東大教授、若年性アルツハイマーになる』の著者・若井克子だった。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 2人はどのように出会い、結ばれ、生活を築いてきたのか。晋が認知症を発症する以前に夫婦が歩んできた波乱万丈の「旅路」を、著書から抜粋してお届けする。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第48回 『昼夜の別なく救急の呼び出しが…東大出身・エリート脳外科医が経験した「仕事」「家庭」の過酷すぎる“二足の草鞋”』より続く
1983年、米国へ
1983年のことだった。12月の寒い寒い夜、私たちは米国ワシントンD.C.の、ワシントン・ダレス国際空港に降り立った。アメリカ国立衛生研究所(NIH)で働くことになっている晋と私たちの、新しい生活はここから始まった。 4人の子どもたちはまだ小さく、3人は小学生で、末っ子は年齢でいえば幼稚園児だ。リュックを背負って歩く姿は、まるでどんぐりが背比べをしているようだった。空港では、NIHで働く晋の友人たちが出迎えてくれた。 私たちはメリーランド州ベテスダ市にある1軒家を借りて住むことになっていたが、案内されて行ってみると、家具なども揃いすぐ生活できる状態になっていて、ずいぶん驚いた。 あとで知ったことだが、NIHでは当時から多くの日本人が働いていて、来る人・帰る人のあいだでものを融通する互助の習慣があったのだそうだ。 この米国行きには、多忙な臨床現場を離れて骨休めする目的もあったと思う。幸いその意図はあたり、NIHでの勤務は朝から夕方の定時まででよかった。過労でやつれていた晋は生気を取り戻し、家族で過ごす時間も増える。 休日は、ワシントンにある無料の美術館、博物館、植物園によく出かけた。チェサピーク湾でのカニ釣りが、私たち全員のお気に入りだった。スーパーでもらったニワトリの頭を桟橋からつるしておくと、お腹を空かしたブルークラブが寄ってくる。それを網ですくって獲るのだ。ときに思わぬ大漁に恵まれて、家族みんなで盛り上がることもあった。獲れたカニは浜辺で蒸して食べるのだが、どんなごちそうにもまして美味しかった。