昭和100年へ 中森明菜、復帰後初インタビュー 激動の「昭和」を駆け抜けた今、変わったもの、変わらないもの「確実に令和の方が良いこともある」
歌手、中森明菜(59)のサンケイスポーツ独占インタビュー。後編では、激動の「昭和」を駆け抜けた今、変わったもの、変わらないものを語る。多忙ゆえ、体調不良で活動を休止した時期もあったが、今年は精力的に活動。2025年4月には初めて音楽フェスに出演するというビッグニュースも判明した。(取材:古田貴士、取材協力:HZ VILLAGE Inc.) 【写真】レコーディングでお茶目な笑顔を見せる香取慎吾と中森明菜 「少女A」の大ヒット以降ヒット曲を連発し、昭和60(1985)年に「ミ・アモーレ〔Meu amor é…〕」、同61(86)年には「DESIRE-情熱-」で日本レコード大賞を受賞。女優としても活躍したが、2010年に体調不良で芸能活動を休止。14年のNHK紅白歌合戦で復帰するも18年以降は再び仕事をセーブしていたが、デビュー40周年の22年に個人事務所を設立し、再始動。今年7月にファンクラブイベントも行った。さらに来年4月には大分県で開催されるジゴロックに出演も決意した。 その原動力となったのは「ファンの皆さまに喜んでほしい」という変わらぬ思いがあったから。 「昭和」と「今」の変化を聞くと、「どうでしょう…令和の時代にこういうことを言うとビックリされてしまうと思いますが…世の中の価値観や仕事の仕方の変わりように対して、私自身の考え方や人に対する態度は、良くも悪くも変わってないと思います(笑)」と明かした。 もちろん、今と昔で違うと感じることもある。 「自分が若かったのもあると思いますが、個人的には80年代が楽しかったです。みんながみんなテレビから情報を得る時代でしたので、たくさんの歌番組があり、幸運なことに数多く出演させていただく機会をいただけていましたので、他の出演者の皆さまやスタッフの皆さまと、頻繁にお会いすることができ、直接の会話を通して、褒め合ったり、刺激をたくさんいただけました。そこで出逢う方は皆さん『人を楽しませたい、笑わせたい』という共通認識があったと思います。令和の今もその思いは変わらないと思いますが、テレビの時間に何があってでも見てくださる皆さまのために!という熱意や躍動感は、昭和の方が強かったのではないでしょうか」と振り返る。 「でも、確実に令和の方が良いこともあると思います。例えば、昔は上の人の意見でコロッと変わることがよくありました。私は特にアルバム制作が大好きで、ファンの皆さまにとって心地良い1時間をつくるんだ!という思いで時間をかけて進めていたのに、ある日突然その話がなくなる…なんてこともありました。今の時代は、業界や組織にもよると思いますが、風通しが良くなり年齢や立場に関わらず、意見が言いやすくなったのではないかなと感じます」とも。