東京オリンピック需要で活性化、東京・豊洲地区はどう変化する?
2020年の東京オリンピック開催を控え、東京を中心として日本各地でさまざまな改革が進められています。そんな中でも湾岸エリア、特に豊洲周辺は非常に動きが活発化している地域です。これから豊洲がどのように変化していくのかを見ていきましょう。
選手村と各種競技施設に挟まれた絶好のエリア
1923年に発生した関東大震災の瓦礫処理で埋め立てられ、1937年7月に“豊かな土地になるように”との想いを込めて正式に命名された豊洲。しばらくの間は工場や流通設備がメインでしたが、1988年6月に営団地下鉄有楽町線(現:東京メトロ有楽町線)の豊洲駅が開業して以降は開発が本格化しました。オフィスビルや商業地、マンションをはじめとした住宅地の建設ラッシュが起こったのです。そして近年では、石川島播磨重工業東京第一工場の跡地約50haを使った再開発地区「アーバンドック」にある巨大商業施設「ららぽーと豊洲」や大規模集合住宅「パークシティ豊洲」を中心に、飛躍的な発展を見せてきました。 そして現在、この豊洲が更なる進化を遂げようとしています。まずオリンピックの施設関連では、選手村が晴海地区に、各種競技施設が有明地区に建設予定となっており、その間に挟まれた豊洲地区は観戦の拠点やショッピングなどで賑わう絶好の立地条件といえるでしょう。 また、現在は東京都中央区築地にある卸売市場「築地市場」の移転も注目すべきポイントのひとつです。この移転計画自体は、築地市場における施設の老朽化やキャパシティの問題を背景として、東京オリンピック誘致のかなり前から進行していました。豊洲地区、晴海地区、有明北地区、石川島播磨重工業豊洲工場跡地、中央防波堤内側という5つの候補地が挙げられましたが、流通施設も含む約40haという広大な敷地、良好な交通アクセス、築地の商圏との継続性といった必要条件を満たすのは豊洲地区のみでした。この豊洲新市場は現在のところ、2015年度末の建物竣工を予定しています。