母にずっと意地悪だった。40代になって出会ったある人物のおかげで見えてきたものがあった
40代になり、ある人物に出会ったおかげで見えてきたもの
そして、40代になってエマと出会った。 エマは、旅行先で知り合った夫婦の娘だった。シュノーケリングのボートで一緒になったとき、女性保護シェルターでインターンとして働き、子守りの仕事もして大学院の学費を払っていると話してくれた。私がつれていた小さな子どもと色塗りをして遊んでくれる一方で、10代の上の子の扱いもうまかった。 翌日、空港に向けて出発する前に、エマの母親のエイミーと一緒にコーヒーを買うために並んで待っていた。 「エマは自慢の子どもでしょう。とっても落ち着いていて、分別があって。まだ学生なんて信じられません」と勢いづいて話しかけた私に、エイミーは意外な反応を示した。 「エマ、エマ、エマ」。言いながらエイミーの顔から笑みが消えていった。「エマのファンってなんでこんなに多いんでしょうね」 そして続けた。「私と夫がなんでシュノーケリングのボートに乗らなかったかわかりますか?エマがいたからなんです。せっかく休暇につれてきたのに、私たちへの批判が止まらないんです。『お母さんのズボンは短すぎる』、『お母さんの話は長すぎる』、『お父さんは歩くのが速すぎる』、『ホテルの従業員にタオルを頼んだときのあの言い方は変だった』という具合なんです。本当はシュノーケリングに行きたかったけれど、エマから離れたかったというのが実のところなんです」 エイミーの言葉を聞きながら、両肩をガシッとつかまれた気分だった。 私は「エマ」だったのだ。 出会う人たちに私はいい人に映っていただろう。うざいなと感じる人にもいい顔を見せてしまうから。でも、母に見せる顔はまったくちがった。意地悪で、すぐにイライラして、容赦なく責め立てるーー。 父が家を出ていった後、ちゃんした暮らしができるようにしてくれた人に対して機嫌悪く接していた。孫たちのトイレトレーニングをしてくれたり、お泊まりの時には枕元にサプライズのプレゼントを用意してくれたりした母のことをぞんざいに扱ってばかりだった。 母にこの気づきについて話すと、私が「エマ」だったことを否定しなかった。 母自身が自分の母親と衝突したときに唱えていたという言葉を教えてくれた。 「母がよくない振る舞いをしても、私に悪い影響があるわけはない」 ようやく納得がいった。 携帯電話のマナーに責任を持つべきは母。過敏すぎるところとイライラを止められないのは私自身の責任なのだ。 母は完璧な人間ではないということを認め、受け入れるべきなのだ。母はこれまでずっと私の欠点を見過ごしてきてくれたのだから。初めてそのままの母を好きになれた気がした。父が出て行ってからの生活を支えてくれたことを感謝するだけではなく。 母は年齢を感じさせないほどの活力に満ちあふれていて、家族の中心的存在だ。3人娘の母であり、3人の義理の息子の母であり、ゴールデンドゥードルの母でもあり、4歳から24歳までの9人の孫のおばあちゃんだ。 ゴルフコンペに出場し、優勝することもしょっちゅうだ。自分で建てた家の前にある塩水の湖に、浮橋から飛び込んでリラックスする。私が自分の家族をつれて夏の間よくここを訪れるのは、景観のすばらしさもあるけれど、母と継父と一緒に過ごしたいからというのが本当のところだ。 母は行く先々でどんな人とも友だちになってしまう。おせっかいで、愉快で、自分のみならず、大切に思う人のために行動することを恐れない。何より素晴らしいと思うのは、お互いが学び、そして進化し続ける方法をお手本となって示してくれているところだ。 今でも時々、母にはイライラさせられる。誰々がオゼンピック(糖尿病の治療薬で減量にも使われている)を使っていると言ってくる時は、私にも使ってみろと暗に勧めているんだと思う。イライラはするが、かつて母との間に深い溝を生んだ醜い怒りの気持ちはもうない。 このあいだ母とクロスワードパズルを一緒に解きながら、冗談を言い合った。「タテ77を解くまでエマは待てない」と母のことをからかってみた。タテ77のヒントは「公共の場での大声での会話」で、答えは4文字だ。 母は答えが「RUDE」(無作法)とわかると、すぐに「どこかの子どもたちみたい!」と言い返してきた。 実の父が家を出て行った傷跡を、私たちはストレスとしてしばらくの間ひきずっていた。母の怒りが本当は私に向けられていたわけではなかったと、今ならわかる。同じように、私が抱いた恨みも母に向けたものではなかったのだ。 エマのおかげで、娘としての最も良いところと最も嫌なところに気づくことができた。気づくことができたおかげで、母との仲を修復することができた。ずっと変わらず、待っていてくれた母には感謝だ。 これを読んで、もし自分の中にもエマがいたり、我が子にエマの片鱗が見られたりすると感じたとしても、それはあなただけじゃない。親子関係は一生をかけてつくっていくものだ。お互いの欠点を受け入れ、手遅れないならないうちに対処する。現在そして未来の家族の形、その中での自分の役割に目を向けることで、人生のおいて最も確かで貴重なつながりと過去から受け継がれてきたものを守っていけるようになる。 ◇ ◇ ◇ 筆者のJodie Sadowsky氏はアメリカ・コネチカット州在住で、「娘、きょうだい、友人、妻、母、読者、物書き」と様々な顔を持つ自身について執筆している。Sadowsky氏のエッセイは人間関係や健康が主なテーマとなっている。子ども向けにも家族や伝統、言葉遊びの物語を書いている。 ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。