格差社会が生む犯罪を訴えた松本清張代表作『砂の器』は過去の物語なのか
底辺から這い上がれた人間はほんの一握り
ここで注意したいのは、和賀英良のように低い階層から上昇していくというのは、実は近代日本では例外的だったことである。社会学者の竹内洋が『学歴貴族の栄光と挫折』(中央公論新社、1999年4月)で述べているように、近代の日本社会はかつて言われていたほどには階層間に流動性はなくて、実はその反対に、今日に至るまで確固とした階層社会、すなわち固定した格差社会であったということである。たとえば中流以上の人間はほとんどが中流以上の階層の出身者であり、底辺層から中流さらには上流の階層の仲間入りするような例は稀少だったのである。もちろん、政治家の田中角栄(1918-93)のような存在はいたが、彼が「今太閤」だと騒がれたこと自体、やはり階層間の壁を破って上昇していくのは困難であったことを示していたと言える。つまり、普通にしていては這い上がれなかったのである。 もちろん、努力が実り、さらには幸運にも恵まれて、上昇することができる場合もあるだろう。しかし、そうでない場合はどうであろうか。それでもなお這い上がろうとするならば、そこには〈無理〉が生じるであろう。その〈無理〉が犯罪を誘発するのである。和賀英良の場合は、最初は戸籍改ざんという罪であったのだが、それを隠ぺいしようとした結果、遂に殺人を犯すまでに至ったわけである。さらに和賀英良の場合、単に階層が低かっただけではなく、その上に父が当時は社会で酷い差別と偏見の中にあったハンセン病者であったという問題もあった。だから和賀英良は、善意の人であった三木謙一が目の前に現れたときには、自らの出自のこと、とりわけハンセン病の父を持っていたことが明るみに出てしまい、それまで築いてきた栄達への道が崩れてしまうかも知れない、という恐怖に陥り、その結果、口封じのための殺人を犯したのである。
子どもの6人に1人が貧困状態 格差の溝は埋まらないまま
前述したように、残念ながら日本は近代以降、差別の問題を内包した格差社会であったのである。松本清張の多くの推理小説は、そのような社会から言わば背を押されるようにして犯罪に赴いてしまった人々を描いたと言える。前述したような〈無理〉が犯罪に結びつくような事例である。もっとも、日本では一億総中流と言われた時代もあった。それは高度経済成長で最底辺層が上昇したために、貧困が表面的には見えなくなったからだが、しかし現在では、たとえば子どもの6人に1人が貧困状態にいるのである。近年、清張作品が映像化されるような例が増えてきて、再び清張作品が注目されるようになってきた背景には、子どもの例にも見られるような貧困の問題や、そして格差問題があるからだと考えられる。その意味で、清張文学は今こそアクチュアルなのである。 おそらく、格差や差別を文学で指弾し続けた松本清張は、泉下で、このような今の社会のあり方を憂慮し悲しんでいることであろう。 (解説:ノートルダム清心女子大学文学部・教授 綾目広治<あやめひろはる>) 【松本清張作品:読書のポイント】 『砂の器』に限らず、松本清張のどの小説の背景にも、学歴等の問題から来る、彼の怒りや悲しみがあったのではないかと言える。もちろん、それは清張個人の憾み節ではなく、不遇を強いられた人々への同情、共感という、言わば普遍的事柄として表現されている点に注目したい。