“原爆の街”をなぜ映画に? 『リッチランド』監督に聞く、アメリカ社会が抱える矛盾
町に暮らす被曝者たち
――かつて乳児や新生児の死亡が多かったと語る女性、トリシャ・プリティキンさんは健康被害を抱える被曝者ですね。 ルスティック:おっしゃる通りです。彼女は両親と兄、それから生まれる前の弟も亡くしていそうです。本人も甲状腺の異常を抱えています。彼女は「風下活動家」と呼ばれていて、40年以上も放射線物質が垂れ流されていた地の風下に暮らしていて健康被害を受けたことで補償を訴える人々をそう呼称しています。彼女は政府を相手に25年にも渡る裁判を記録した本を出版しています。昨年、日本でも翻訳出版されたと聞いています(『黙殺された被曝者の声 アメリカ・ハンフォード正義を求めて闘った原告たち』明石出版)。 ――あの町には、トリシャさんのように健康被害を受けた方が他にもたくさんいらっしゃるということなんでしょうか? ルスティック:はい。しかし、あの町ではそれを語れない雰囲気がずっとあったんです。誰かがガンを発症しても時間が経ちすぎていて、因果関係を立証するのが困難なケースも多く、正確な実態は把握が難しいという状態です。世代をまたがるとさらに把握は困難になっていきます。 ――健康被害を訴えると町の業績に傷をつけることになるというような、そういう同調圧力が被害者の口をつぐませてきた歴史があるということですか? ルスティック:はい。社会的な制裁があると見なされていることは確かで、映画の終盤に登場する、お父さんを放射線被曝で亡くされたキャロリンさんは、2001年に議会の公聴会でそのことを語ったことがあるそうですが、その時、町の人々の怒りを買ったらしいのです。健康被害がある事と、核施設に対するプライドとの緊張関係があの町のコミュニティにはあります。特に、労働者階級で核施設の仕事をしてきたおかげで家族を養ってきた方々にとって、実はそれが愛する者に被害をもたらした暴力的なものだということは、なかなか認めづらいのだろうと思います。この引き裂かれた矛盾は、現代アメリカの保守的な政治や社会状況の根幹にもあるものだと考えています。 ――町の被曝の実態に加えて、ハンフォード・サイトは先住民から奪った土地であるという指摘が映画に含まれています。先住民の取材で苦労した点はありますか。 ルスティック:2つの部族が映画に登場しますが、どちらの部族の方にアクセスするのも非常に困難でした。アメリカ先住民の方々は、映画などでどのように表象されてきたのかを考えると、外部の取材に対して警戒するのは当然です。とにかく、信頼できる人から紹介してもらう必要があったのですが、それにはかなりの時間がかかりました。私たちを先住民の方々とつないでくれたのは、映画にも登場する考古学者のトム・マルシューさんです。彼は30年近く先住民たちと仕事をしているので豊富な人脈を持っているんです。 ――考古学者のトムさんもあの土地の土壌汚染の除去などに関っているのですか? ルスティック:彼は原爆関係には直接関わりはないですが、何かが発掘された時には専門家が入って、重要なものだった場合は先住民にお返しするということも行いますよね。トムさんはそういう交渉を担う立場です。そして、発掘された骨や昔の品物などが放射線に汚染されている場合は返すこともできないので、土壌の汚染はそういう文化的な作業も複雑にしているんです。