なぜ私たちは「不健康」になるのか…働きすぎの人を突然襲う「悲劇」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
最期の喫煙者:健康格差と経済格差の連鎖を乗り越える
体調を崩してしまうと、治療費だけではなく元気に働いていたら得られたはずの所得さえも失う(このことを「機会費用が発生する」という)。 このあたりから健康に関する経営の失敗は喜劇ではなく悲劇の色が濃くなる。 たとえば生活費を稼ぐ必要に迫られて長時間労働を余儀なくされる人は悲劇に見舞われることがある。そうした人は生活に不安があり時間の余裕もないため独身を貫いているかもしれない。すると、家に帰っても自炊しない。インスタント食品とコンビニ弁当が毎日の食卓に並ぶ。味の濃いご飯のお供はもちろん、アルコール度数の高いストロング缶チューハイとタバコだ。 こうして偏った食生活を続けたがゆえにその人は体調を崩してしまう。しかも稼いだはずのお金も、目の前の食費や、タバコ、場合によってはパチンコ代/台に消えていくため、受診のタイミングはかなり遅くなる。 そうこうしているうちに、やがてその人はまともに働くことができないほど体調が悪化するかもしれない。そうなったら後は貯金を切り崩す生活が待っているだけだ。 こうして健康面と金銭面の両方の問題から外出も減る。外出が減ることで得られる情報量が減少し、適切な治療や支援を受けることができず、こうした人はますます不健康になっていく。 不健康な状態では転職活動や就職活動も満足に進められない。 満身創痍いの中でなんとか面接にたどり着けても、健康というどうしようもない事情にもかかわらず、自己管理能力が低いというレッテルを貼られてしまい、十分な収入を得られる職にはありつけないかもしれない。 経済格差が健康格差を生み出し、健康格差が経済格差を固定するのである。 こうした悲劇を避けるために、すべての人が自身の健康問題を経営対象として、問題解決の対象として捉え直す必要がある。すなわち自分の心身両面の健康という価値を創り出すために障害となる要因をひとつずつ取り除いていく必要がある。 たとえば醬油刷毛や醬油スプレーの例は「醬油の味を楽しみたい」という心理的な要望を満たしつつ、同時に「塩分摂取量を抑えたい」という一見すると矛盾するかのように見える要望を満たす妙案を考えたわけである。もちろんこれ以外にもさまざまな解決策がありうる。たとえば食材の舌に触れる面だけに醬油をつけるという手も、出汁をしっかりとるという手もある。 あるいは飲酒量を減らしたい場合には、アルコールをすべて断ってしまうのではなく、まずはお酒を飲む際に氷を多めに入れるようにするとか、コップを細長いものに替えるといった手もありうる(アルコール依存症の場合はこの限りではない)。 このようにして自分の心の欲求と体の健康との対立を解消する方法を編み出し、実行し、無理があれば方法を修正するという手順を繰り返していけばいい。 つづく「健康のための「脳トレ」や「ランニング」がストレスを増やしてしまう「笑えない現実」」では、手段が目的化しておかしなことになる事例・比喩をさらに紹介する。
現代新書編集部