『海のはじまり』“夏”目黒蓮になぜ引き込まれるのか これまでと違う生方美久脚本の強さ
夏(目黒蓮)の“誠実さ”がともすれば男性的な暴力性にも見える
第3話では海に対して「何で元気なふりするの?」と言って、母親が死んで悲しいという本当の気持ちを聞き出そうとする。第10話では、海の母親になろうとしていた弥生が1人で抱え込もうとしていた本当の気持ちを吐き出させてしまい、その結果、2人は別れてしまう。 相手の本当の気持ちをはっきりさせようとする夏の振る舞いは、彼の誠実さの表れだが、訥々と呟く不器用な言い回しもあってか「誠実さ」という鈍器で殴っているように見えてしまう。そのため、一見優しくて誠実に見える夏の中にも男性的な暴力性が潜んでいるのではないかと感じる。 その内なる暴力性にもっとも迫っていたのが、夏が3歳の時に離婚して一度も会ってなかった父親・溝江基晴(田中哲司)と再会する第8話だろう。 基晴は饒舌だが無責任な男で、夏とは正反対のタイプ。夏の話に対して、終始どうでもいいという態度で、真面目に聞こうとしない。そんな基晴に夏は苛立ち、水季を侮辱する発言をしたことがきっかけで、怒りをぶつけてしまう。 優しい夏の意外な側面が見える異色の回だが、自分を捨てた父親に怒りをぶつける中で、普段は口に出せない本音を夏は吐き出してしまう。 釣り堀を歩きながら夏が基晴と話すシーンは本作屈指の名場面だが、周囲の人々が優しいことが逆に苦しいという夏の気持ちは、作者本人が自作の限界を批評的に語っているようにも感じる。だからこそ「周りがみんな優しくて、悲しい悲しい、辛い辛いって奴ばっかなのはしんどいな。その優しいみなさんに支えられて、しんどくなったら連絡しろよ」という基晴の台詞が刺さる。 夏と基晴のやりとりを描いたことで、辛い現実をシャットダウンすることで「静かでやさしい世界」を紡ぎ上げてきた生方ワールドに、これまでとは違う広がりが生まれたように感じた。 残り2話となった『海のはじまり』だが、この第8話は筆者にとっては一つのクライマックスと言える回だった。この回を書けたことは生方美久にとって大きな達成である。今後は基晴のような男性をどう描くかが、彼女にとって新たな課題となっていくのだろう。
成馬零一