芸大でもないのに…難関私大・早稲田はなぜ「文化の中心地」になったのか、「異色の映画」から考える
待ちぼうけを学ぶ場所
同館のオープン記念動画『物語を拓こう、心を語ろう』が大学側の企画・製作により、2021年、開館と同時にリリースされた。早大シネマ研究会出身の映画作家・七里圭(しちり・けい)は大学から依頼されて『物語を拓こう、心を語ろう』を作り、開館オープン記念でお披露目されたが、ことはそれでは終わらない。 真夜中の不条理なドラマ部分を拡張して45分の中編作品『ピアニストを待ちながら』が追加的に製作され、それは2022年秋に早稲田小野講堂で発表された。さらに今回、60分のロングバージョン『ピアニストを待ちながら』に再拡張され、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開される。 こうしたうねうねとした拡張、周辺のエネルギーを薄気味悪く呑みこんで持続していくリミックスに次ぐリミックスは、七里圭の作家性であるとともに、早稲田大学という存在の不定形なスケールを物語る。 同大学の政経学部出身の音楽評論家、ラジオパーソナリティのスージー鈴木は、『ピアニストを待ちながら』に寄せたオピニオンコメントの中で次のように記している。 「早稲田大学国際文学館は、昔の4号館。半世紀以上前、怒れる若者たちが、何かを待っていた。40年ほど前、怒り方すら知らない私が、何かを待っていた。そして今、瞬介たちが、何かを待っている――。そう。時代は変われど、あの場所で若者は、待ちぼうけを学ぶのだ。」
早稲田旧4号館の「伝説」
『ピアニストを待ちながら』の舞台となる早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)は、建て替え前には4号館があった。村上春樹原作の映画『ノルウェイの森』(2010/トラン・アン・ユン監督)は早大構内でロケーション撮影され、学生によるデモで騒然となる構内を主人公ワタナベ(松山ケンイチ)がデモ学生と隔絶しながら練り歩く。 原作者・村上春樹の自伝性色濃いワタナベのすぐ傍にはたしかに4号館が写り込んでいた。4号館は小型の地味な校舎で、政経学部の正規棟である3号館の補助的な役割も果たしていた。かく言う筆者も同大学の政経学部出身で、4号館は東門のすぐのところにあり、東門から校外に出て、大隈通りの韓国料理屋でビビンパでも食べて構内に戻る時の通り道でしかないような、とても印象の薄い校舎だった。 しかし政経学部の「芸術論」の授業がこの4号館でおこなわれ、洋画家・薮野健先生による講義を熱心に聴講しようとする政経学部生で毎週満員だった(学部生以外のもぐりもいたことだろう)。この授業で筆者はフランス映画『世界のすべての記憶』(1956/アラン・レネ監督)を見た。単なるビデオ再生ではなく、ちゃんと16mmフィルムを教室背後にしつらえられた映写室から映写しての授業だったということがすばらしい。 『世界のすべての記憶』は、知の集積地としての図書館についてのドキュメンタリーである。4号館における『世界のすべての記憶』についての映画的記憶と、今日における早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)を写した『ピアニストを待ちながら』のイメージは、互いにそれと知らずに霊的に繋がっているのではないか。この、「それと知らずに繋がる」という事態もまた、きわめて早稲田的なものである。 この旧4号館の隣にある早稲田大学坪内博士記念演劇博物館(通称エンパク)では2014年にサミュエル・ベケット展《ドアはわからないくらいに開いている》が開催されている。ベケット作『ゴドーを待ちながら』の変奏としての『ピアニストを待ちながら』の男女は、旧4号館からいっこうに外に出られないという状況下に沈潜した。真新しい国際文学館の自動ドアはつねに開閉し、いつでも出入り自由の開放性を謳歌している。にもかかわらず、瞬介たち登場人物たちはまんじりと館内に閉じ込められて、ピアニストの到着を待っている。