「『太っている=だらしない』の偏見変えたい」“大きい体型”を自信に 無職からモデル抜てき激変人生
スポーツマンの大学人生が暗転で退学…バイトから10年間現場で働き才能が開花
体育会系で一心不乱にスポーツに打ち込み、大学時代に挫折して退学。無職でたまたま訪れたアパレル店の「アルバイト募集」から販売員へ。そこから新たな人生が始まった。大きいサイズ服の専門店・サカゼンで知られる「坂善商事株式会社」の広報を務める加藤俊彦さんは、身長188センチ・体重100キロの大柄な体格を生かし、自ら“大きいサイズのメンズモデル”としてカタログやECサイトに登場している。貫くのは、「『太っている=だらしない、清潔じゃない』の偏見を変えたい」という信念。紆余曲折を経験して「動く広告塔」の道を切り開く“逆転人生”に迫った。(取材・文=吉原知也) 【写真】「かっこいいデブになろうよ」…プラスサイズの魅力輝く実際のモデルショット 「アルバイトとして働き始めた時は、まさか自分がファッションモデルとして発信する立場になるとは、1ミリも思っていませんでした」。今年39歳になる加藤さんは、激変した自らのこれまでをこう振り返る。 小学校時代に運動はしていなかったが、中学生になると「モテたい」とイメチェンを図るように。『SLAM DUNK』世代であり、バスケ部に入部した。みるみる成長し、身長は180センチを超えた。充実の中学時代を過ごした。 高校受験をして入った学校はスポーツ強豪校。練習見学でバスケ部の壁の高さを感じ、「ゼロからのスタートならチャンスがあるかも」とアメリカンフットボール部の門をたたいた。「入部当時は身長こそ182センチありましたが、体重は50キロ台とかなり線の細い体型でした。そこから、いわゆる食トレと筋トレに明け暮れ、高校卒業時は85キロにまで成長しました」。もともと食が細く、当時は毎日泣きながら食事をしていたという。 大学でもアメフットに熱中。相手に果敢に突撃するオフェンシブタックルのポジションだけに肉体改造を求められ、「もっと大きな体にならないと通用しないと思い、最終的には110キロにまで増量しました」。体重が2倍になった。 ところが、スポーツマンの大学人生が暗転する。競技にのめり込むあまり、勉学がおろそかに。必修科目が不足し、4年間での卒業が不可能になってしまったのだ。「3年生の時に判明しました。それでも、4年生までは試合に出られると聞き、アメフットを続行しました。しかしながら、けがの影響もあって4年生の時は1試合も出ることができませんでした」。打ちひしがれ、自暴自棄に陥った。親からは卒業するまで頑張るよう諭されたが、学費負担に引け目を感じたこともあり、退学の選択肢を選んだ。「大学を辞めさせてくださいと、親に泣いて土下座しました」。 学生時代から働いていた中古販売チェーンのバイトから社員登用されたが、組織再編もあって1年ほどで離れた。一時期無職の時間を過ごした。 人生の転機が訪れたのは、ひょんなことから。親戚の結婚式に出席するためにスーツを買いに行った時のことだ。以前に買ったスーツが入らなくなり、大きいサイズを扱うサカゼン店舗を訪れた。初めての来店だった。「自分に合うデカいスーツはないと思っていたのですが、あったんです。それで会計時に、レジ横に貼ってあったバイト募集のチラシが目に入りました」。息子の今後を心配する母からも促され、その場で電話。すぐに面接をすることになり、働くことが決まった。26歳のことだった。 バイト販売員からキャリアをスタート。10年間現場で働き、3年前の2021年に“自社モデル”に抜てきされ、1年前から本社勤務となり、動く広告塔の業務を本格化させている。 もともと人と話すのが好きで、接客業が性に合った。悩む日々もあったが「一流になる」と販売員としてランキング全店トップ10以内に入り続け、社員に昇格を果たした。スーツ部門一筋で、大型店舗のフロア責任者を任されるようになった。モデルとしての活動を始めたのは、新宿店のフロア責任者時代。会社としてウェブ発信に力を入れることになり、スタッフのコーディネート紹介企画に参加するよう打診されたことがきっかけだ。加藤さんの写真を見た現在の上司と当時の役員から評価されて「モデルとしてお手伝いをしてもらおう」と話が進み、3年前に“モデル転身”が実現したのだ。 タレントの石塚英彦がイメージキャラクターを務めるサカゼンブランド。近年は大柄な体型をポジティブに捉えるために、「縦のシルエットを意識したかっこいい・がっちりした」着こなしを紹介することに注力している。加藤さんの体つきはうってつけで、年2回発行のカタログや自社サイト、SNSに、おしゃれコーデでクールにポーズを決める加藤さんが登場しまくっている。「『たまに出てよ』が、今は週2回の撮影をこなしています」と笑う。