【インタビュー】吉田輝星(金足農・現オリックス)第100回記念大会・準々決勝 対近江「あの日は本当に不思議な1日で」
災い転じて福と成した異なる投球スタイル
吉田輝星[金足農・現オリックス]
【色褪せぬ夏、青春の甲子園 熱戦の記憶】 歓喜と涙が交錯する無情の幕切れが熱戦を映し出す。華麗なる逆転サヨナラ2ランスクイズで金足農が劇的勝利──。ただ、サヨナラ劇は“不思議な1日”の一部に過ぎない。数時間前に右腕の身に起きた一つの異常から重なり続けた予期せぬ展開がドラマを呼んだ。 取材・文=鶴田成秀 写真=BBM 目覚めは最悪だった。前日の横浜との3回戦は自ら2ラン本塁打を放つなど5対4で逆転勝ち。投げては164球の力投で14三振を奪って完投した翌朝、目覚めと同時に胸の内でつぶやいた──。 「あぁ、やっぱり投げられないや」 不安は前日の3回戦から抱いていた思いだったと言う。 「試合中に左の股関節が痛くなって、投げるのがキツくなっていたんです。明日は大丈夫なのかなって思いながら寝たんですけど、朝起きたら痛みが増していて、足が上げられなかった。だから準々決勝は投げない予定だったんです。試合に出ても外野を守る予定だったんですよね」 2018年の夏──。秋田大会から甲子園決勝まで全試合で先発登板し“金農旋風”の主役となった男の体は満身創痍だった。だが“全試合先発”の事実が残るように、結果的には準々決勝のマウンドへ上がっている。突き動かしたのは「これが甲子園か、と。あの日、甲子園に着いて、初めてそう感じたんです」と言う観衆の数と熱量。1日4試合が組まれるのは準々決勝が最後、それも勝ち残っている全8校を1日で観戦できるとあって、スタンドが満員となるのは例年のことだ。あの日も熱量は増していた。 「注目されている試合じゃないと、なかなか満員にはならないじゃないですか。僕らは大会前から注目されていたわけじゃない。だから『甲子園』というのを初めて味わった気がするのが、この日なんです。得点を取られたらイヤな雰囲気になるし、1点を返しただけで逆転できそうな雰囲気になる。声援の力ってすごいんだなって、あらためて思いましたから」 独特の空気感は右腕の傷を癒やした。「これなら投げられる」と判断したのは球場入り後の室内練習場でのことだ。「無理だと思うけど、キャッチボールをして股関節の状態を確認しよう」。第3試合の熱狂が球場内の練習場まで伝わったことで「アドレナリンが出たんでしょうね」と痛みが和らいでいた。 「少しは痛みがあるけど、投げられないほどではない。そりゃあ、投げられるなら、投げたい。だから監督に『たぶん投げられると思います』と言いに行ったんです。第4試合だったので、治療の時間も長く取れたし、本当、何かの巡り合わせですよね。投げられたこと自体が奇跡だった気がします。本当にあの日は、不思議な1日でしたから」 当時を振り返る中で何度も口にする“不思議”は、試合展開、そして自らの投球も含まれる。最速150キロを計測し、登板ごとに注目度が増した右腕だったが、準々決勝は投球スタイルが異なっていた。「あのボールを投げたのは、この試合だけ」と明かすのは、チェンジアップとフォークの中間球だ。チェンジアップ、フォークも投じたこともあり、独特の“抜き球”が効力を示す。ただ、苦肉の策だったことは言うまでもない。 「自分と相談して、ですよね。連投だったし、体(股関節)の状態が状態だったので。いつものように腕が振れない。でも、変化球なら腕が振れなくても緩急をつけて、真っすぐを速く見せることができるなって。それに、思い切り投げられないなら、抜くところまで抜いてやろうと思っていたんです(笑)」 速球をイメージする相手打者のバットは面白いように空を切る。ときに・・・
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週刊ベースボール