「ただ選ぶだけの存在ではない」、一般市民が憲法私案を発表する意義とは
明治時代の憲法私案
明治時代にも、大日本帝国憲法制定に向けた流れのなかで、全国各地で憲法私案を作成する動きがあった。 憲法史にくわしい京都産業大法学部の須賀博志教授(47)は「明治憲法の時と今とでは、性質がかなり違う印象がある」と指摘する。 須賀教授によると、全国各地で私案が盛んに作られたのは1880(明治13)年から1881(明治14)年にかけて。国会期成同盟の会合で、政府に対して憲法の制定を促すために私案を作ろう、という旨の呼びかけが行われたのを契機に、全国各地の政治団体で私案を起草する動きが広がった。 1892(明治15)年以降、全国的な政党が登場しはじめると、私案作成はこれら各政党が担うようになった。明治時代の私案作成はあくまでも政治団体が行っており、現在のように、組織的な背景のない一般市民が作った例はないという。 歴史学者で、「日本憲法史 八百年の伝統と日本国憲法」(かもがわ出版)など憲法に関する著書がある奈良女子大文学部の小路田泰直(こじたやすなお)教授(62)は、大幅な改憲にこそ慎重な姿勢を示すものの、「国民が、ただ選ぶだけの存在ではなく、国家の基本的なことを提案する存在になること自体は大事」と一般市民による私案作成の動きを評価している。 (取材・文:具志堅浩二)