ドクター・ストレンジを演じる俳優の怪演が見もの! サイコスリラーでありヒューマンドラマでもある『エリック』。
『イミテーション・ゲーム』でドイツ軍の暗号エニグマの解読に挑む数学者を演じ、『アベンジャーズ』シリーズではかつて天才外科医と呼ばれていたが、事故により両手の機能を失い、厳しい修行を経て、魔術師として人類を守るドクター・ストレンジを演じるなど、いまや英国を代表する俳優と言っても決して過言ではないベネディクト・カンバーバッチ。 そんな彼の『SHERLOCK/シャーロック』以降初となる主演ドラマシリーズが、Netflixにて配信開始。エグゼクティブプロデューサーも務め、まさに怪演! 息子の失踪により、狂気的な妄想にとりつかれ、息子を懸命に捜しながらも自分自身と葛藤する父親ヴィンセントを演じた。 舞台は80年代のNY。ヴィンセントは、子ども向け番組のパペットを操るクリエイターで、9歳の息子エドガーと、妻のキャシーと暮らしている。 キャシーとは毎晩のように口論が絶えず、そのたびエドガーは孤独を感じていた。ある日の朝、いつものようにヴィンセントとキャシーが口論していると、エドガーはあきれたようにひとりで学校へと向かってしまった。 ヴィンセントはもう一人で学校行けるだろうとないがしろにし、いつもどおり『おはよう お日さま』の公開収録に向かうと、そこには会社の重役と副市長が来ているという。日頃から社会に対して不満を抱えていたヴィンセントは、台本にはないアドリブで市長に向けた皮肉を披露し、見事に周囲の期待を裏切った。 何度も妻から電話が入っていることを知らされたヴィンセントは、「どうせいつもの文句だろう」と折り返しの電話を入れずに家に戻ると、血相を変えてパニック状態のキャシーと警察が。エドガーは学校には行かず、いなくなってしまったのだ……。 「一緒に学校へ行けばこんなことには……」。ヴィンセントはエドガーへの罪悪感からか、エドガーが描いた青いもじゃもじゃのキャラクター“エリック”の幻覚を見るようになる。エリックは執拗(しつよう)にヴィンセントをののしり、次第にアルコールや薬に溺れ、心身共にむしばまれてゆく。 ストーリーには、同性愛嫌悪、人種差別、格差社会、ホームレス問題、薬物問題……などなど、当時のさまざまな社会問題を多角的に描き、これらの問題が、登場人物の人格形成に大きく影響している。 失踪事件を担当しているマイケル・ルドロイド刑事は、アフリカ系アメリカ人であり、クィアだということは公にしていない。時代背景を考えれば当然だ、すぐさまHIV感染者ではないかと疑われ、築き上げてきた人間関係が壊れてしまう。腐敗した警察組織のなか、ルドロイド刑事だけが真摯(しんし)に真実を追い求め、点と点をつないでいく姿は、犯罪ミステリーとしても楽しめ、この物語の唯一の希望なのかもしれない。 ヴィンセントがエドガーに教えたトルストイの言葉、“人は世界を変えても、自分は変えようとしない”。この言葉は、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。 変わらなければならないのは誰か? 本物の怪物はどこにいるのか? エドガーが描いたヒントを頼りに、果たしてヴィンセントはエドガーを取り戻すことができるのだろうか――。6話完結でありながらもストーリーの複雑さや緊張感からか、リミテッドシリーズとは思えないほどの満足感を得ることができるだろう。 さまざまなテーマを盛り込み、サイコスリラーでありながらも、綿密にキャラクターを描き、ヒューマンドラマとしてもかなり完成度の高い作品だ。ぜひ、作中使用されている70年代のヒットソングに耳を傾けてほしい。10ccの『I’m Not In Love』をもう一度聴くとき、きっと言葉にならない感情であふれていることだろう。 Text:Jun Ayukawa Illustration:Mai Endo
朝日新聞社