発達障害の子の「できない」にイライラ...父親失格だったと後悔するアナウンサーの反省
発達障害支援の手厚い私立中学への入学を目指していた6年生の12月、突然「麻布中学を受けたい」と言った発達障害の息子さんの意思を尊重しつつ、二人三脚で中学受験を突破した元テレビ東京アナウンサーの赤平大さん。 【写真】元テレビ東京アナウンサーの赤平大さん 高IQを持つ一方で集中力が30分以上続かない等の発達障害の様々な特性と向き合いながら、赤平さんは様々な工夫とメソッドでお子さんを導いてきました。 そんな赤平さんも、当初は発達障害を理解できずイライラとストレスを抱えてしまい苦しんだ過去があります。著書『たった3つのMBA戦略を使ったら発達障害の息子が麻布中学に合格した話。』より、その後悔を記した一節を紹介します。 ※本記事は赤平大著『たった3つのMBA戦略を使ったら発達障害の息子が麻布中学に合格した話。』(飛鳥新社)より一部抜粋・編集したものです。
不勉強な父の大失敗「できないのは"障害のせい"なのに」
息子は小学校入学と同時に、急速に困りごとや問題が増えていきました。いわゆる"小1の壁"です。授業はもちろん給食の時間や登下校……小学校では、すべての場面でクラスメイトと一緒に集団行動が求められます。ひとりで遊んでいてもよかった保育園や療育施設のようにはいきません。 発達障害の子どもはここでつまずくことが少なくありません。毎日必ず何かしら忘れ物がありました。上履きを履くことが苦手で、いつも裸足で過ごしていました。教室でイスにジッと座っていられません。 授業中に立ち歩いたり教室から出て行ってしまうこともしばしば。入学して最初の授業参観。行ってみると教室に息子の姿がありません。「どこにいるんだ!?」と思ったら、教室の後ろで床に寝転がって本を読んでいたこともありました。通学路も油断できません。 ボーッとして気づかないのか赤信号を無視して横断歩道を渡りだしたり、何かが気になって急に車道に飛び出してしまうこともありました。この頃は毎日、担任の先生からの電話がありました。 その日起きたことを先生から報告してもらい、同時に翌日の"持ち物"や提出物を先回りして教えてもらいました。 遅刻やトラブルに巻き込まれないよう学校の登下校は毎日付き添いました。それでも発生する忘れ物を取りに自宅から小学校まで往復したことも数え切れません。当時すでにフリーアナウンサーだったのでできましたが、テレビ東京にいたサラリーマン時代だったら絶対に無理でした。 その頃の私は発達障害に対しての正しい知識を、まったく持ち合わせていませんでした 「なんで息子は何度も忘れ物をするんだ……?」 「もっと厳しく、徹底的にしつけをしたほうがいいんじゃないか……?」 息子に対して、「なぜできない」という怒りが先に来てしまいます。 「信号をよく見て!」「なんでプリントを忘れてきたんだ!」「なんでみんなと仲良くできないんだ!」「ご飯をポロポロこぼさない!ちゃんと食べなさい!」「怠けるな!なんでちゃんとできないんだ!」「何度言ったらわかるんだ!」叱ってばかりいました。 できない息子が悪いのだ、と。