辻発彦×槙原寛己(司会=神田れいみ) 『つじのじつ話』重版記念企画 SPECIAL TALK 最終回
僕はID野球じゃなかった?
左から辻さん、神田さん、槙原さん
槙原寛己さんのYouTube『ミスターパーフェクト槙原』とのコラボ企画。槙原さんと小社から『つじのじつ話』を刊行した辻発彦氏との対談だ。今回は最終回。司会は神田れいみさん。 神田 辻さんは1996年のヤクルト移籍1年目、キャリアハイとなる打率.333を記録しましたが、当時のヤクルト監督、野村克也さんの印象は。 辻 一緒にやらせていただいたのは3年間だけど、たくさんのことを勉強させていただきました。ミーティングでは一言一句逃さぬように集中して聞いて、たくさんノートに取らせていただき、すべてが財産になっています。ただ、特にバッティングにおいては、僕自身はID野球に当てはまらなかったと思うし、野村監督にもそう言われたことがある。 槙原 と言うと。 辻 野村監督はバッターをAからDのタイプに分けていて、僕は真っすぐを待って、タイミングが合えば変化球にも対応するA型だった。バッターにとって、このA型が理想だけど、A型であっても、そのレベルになかったらコースを待つ、球種を待つとか、データはすごくプラスになるよね。野村監督は、そういう選手にはこんこんと話し、僕みたいなタイプはほっておくというのかな。相手を見てやっていく監督だった。あとはマスコミを使うのもうまかったよね。 槙原 そうでしたね。 辻 本人に直接じゃなく、新聞記者をうまく使う方だった。野村監督の言葉が記事になったり、「監督が褒めてますよ」と言われたり、遠回しで伝わってくる。そのほうが選手はうれしかったりするんだ。褒め言葉に対してだけどね。 槙原 でも、野村さんはID野球と言いながら、ドリフターズのコントみたいに黄色いメガホン持って叫んでいましたよね。「フォーク、フォーク、フォーク!」って(笑)。マウンドで「何がIDだよ」って思っていました(笑)。 辻 声を出したらインコースとかね(笑)。 槙原 確かに外角と決めて思い切り踏み込んできたら打てる可能性は増えますけど、怖いでしょうね、バッターも。 辻 内角に来たらデッドボールだしね。 神田 パから移籍してセの野球で驚いたことはありますか。 辻 セの野球というより、最初はヤクルトのチームカラーかな。西武とまったく違っていたからね。ロッカールームでも試合前、あちこちから別々の音楽が流れ、娯楽室では将棋やゲームをしてる選手がいたりする。 槙原 へえ、そうだったんですか。 辻 西武は「試合前は集中して騒ぐな」というピリピリした雰囲気だったからね。それでも、いい加減に見えた連中が、いざ試合となるとピリッとして一つになる。実際、強かったし、こいつらすごいなと思った。 神田 ヤクルトで、ほかの選手と食事に行ったりは。 辻 東京の試合は埼玉から車で通っていたから終わったら帰るだけだけど、遠征では行きましたよ。当時のヤクルトは宿舎の食事が大したことなかったから外に出る選手が多かったし。 神田 ウィキペディアでは守備の名手・宮本慎也さんに助言したとあります。 辻 助言というわけでもないですけどね。当時、ショートは池山隆寛がいて、宮本は控え。ただ、うまいなというのは感じていましたよ。結局、そのあとショートのレギュラーになったしね(1997年以降)。 槙原 宮本は、最初は打てなかったけど、守備は抜群にうまかった。そうなると、試合で使いたくなるんですよね。それで試合に出ていれば、なんとか打てるようになる。最終的には大学、社会人出なのに2000安打達成していますからね。 神田 セカンドでは史上最多8回のゴールデン・グラブ賞を獲得した辻さんですが、バットがボールをとらえる角度から・・・
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週刊ベースボール