『残酷な天使のテーゼ』は「簡単には歌い始められません」 高橋洋子が心がけを明かす
デビューは急遽決まった
小学2年生から高校2年生まで合唱団に入り、その後アマチュアバンドでボーカルやコーラスを経験したものの、人前で歌うことには苦手意識があったという高橋。久保田利伸や松任谷由実のコーラスの仕事をしている中で、急遽デビューの話が舞い込んできたのだという。 高橋:「譜面も読めて歌を歌える人を探している。誰かいない?」ということで、急遽歌ったものでデビューみたいな感じでした。なので「デビューしたいです!」みたいな、そういうのはありませんでした。 市川:やっていて気づいたら……。 高橋:それも時間がない中でのデビューだったので、ジャケ写とかも撮る時間がないから時計の絵で(笑)。 市川:そんなことあるんですか(笑)。 高橋:テレビの主題歌だというので慌てて録りましたが、主題歌で流れないことになって、でもデビューはするという(笑)。 市川:そんなことあるんですね(笑)。『エヴァ』はそれからどのくらい? 高橋:4年後です。 市川:かなり環境が変わりますよね。 高橋:デビューした年にバブルがはじけたんですよ。そうこうしているうちに、たまたまアニメの主題歌を歌わせていただくというご縁があって、それが『エヴァンゲリオン』の主題歌でした。
「音楽療法」からの学び
しかし高橋は2000年頃に周囲の手厚いサポートに対して「このままいくと私は人としてだめになってしまうかもしれない」という恐怖に襲われ、2002年頃には事務所やレコード会社を辞めて事実上の引退状態に。その後、資格を取得してヘルパーの仕事を始めたという。 高橋:最終的にはデイサービスが一番長くて。デイサービスって歌うことも多いんですよ。 市川:音楽療法とかありますよね。 高橋:私も音楽療法の聴講生として勉強もして。それでライブとは言いませんが施設でみなさんと一緒に歌いました。でもこれは「究極のライブ」なんです。だって私が高橋洋子なんて誰も知らないですから。みんな注意が散漫になる中、いかに私に集中して一緒に歌って踊ってくれるのかと毎回大汗をかきながら……。でも「いろいろ忘れちゃったのよ」なんて寂しそうにしている方も童謡唱歌とかは歌えるんです。3番まできちっと完ぺきなんですよね。だからそうすると「できる」という肯定感が上がって元気になるんですよ。私も元気になって「これいいじゃない」みたいな感じでした。 市川:本当ですね。 高橋:ただ、そうこうしているうちに、お世話になったみなさんから「このイベントにどうしても出てほしい」と言ってもらえて。それに出ると私がやっているお給料とは比べられない額になるので考えてしまうんです。あるとき、星がすごくいっぱい出ていた夜があって、それを見ていたら「私はあの星よりも小さいんだよな」と。こんなにたくさんあって、この星よりも小さい私が「私の生きざまがどうだこうだ」と言っているんだと思ったらばかばかしくなってしまって。感謝してお仕事をいただけるんだったら、私の歌を聴きたいという人が1人でもいるなら「ありがとう!」と走って飛んで行って歌えばいいじゃない、と思って、退職願を出しました。でもそのあとも急に辞められないので、音楽療法自体は3年ぐらい続けていたのかな。それで戻ってきたという感じです。