元全日本キックチャンピオン石川直生「全盛期の自分を超えたい」引退後も挑戦し続ける理由とは…(前編)
キックボクシングジムに入門。プロへの階段を登り始めた
――キックボクシングを始めたのはいつですか? 石川:中学3年生です。クラブ活動が終わった夏、すぐにキックボクシングジムに入門しました。 ――ジムにはどのくらいのペースで通っていましたか? 石川:土日以外の平日、毎日通いました。学校から帰ってきて夜7時~10時ごろまで練習に明け暮れました。 ――その時から「プロを目指そう」と思っていましたか? 石川:もちろんです。スパーリングも最初は攻撃が全く当たらないのが、練習するに連れ当たるようになり、実力がぐんぐん上がりました。日々自分の成長を感じるようになって、部活よりも楽しかったですね。 ――プロデビューのきっかけを教えてください。 石川:当時キックボクシングはプロテストがあったんです。僕もプロテストを受けてデビュー戦が決まりました。 でも自分でも覚えていないんですが、父には「プロにはならない」と約束をしていたらしいんです(苦笑)。 ――なぜ、プロにはならない約束をしたのですか? 石川:危険だからです。父の中に「祖父が作った会社をいつか僕が継いでくれるんだろう」という思いがありました。 デビュー戦が決まって「プロデビューする」と伝えたら初めて父が「約束が違うだろ!」と。 父に反抗したことはなかったけど、その時は「僕がやりたいこと見つけたんだから!」と喧嘩になりましたね。でも最終的には「本気でやるならもう知らねえ。しっかりやれよ!」と言ってくれました。
運動会のような感覚のデビュー戦、全日本キックでの活躍
――デビュー戦は覚えていますか?緊張で記憶が飛んでしまうこともあると聞きますが。 石川:大体覚えています。選手によると思いますが、僕の場合、緊張よりもリングは自分の表現の場所という気持ちがあって、運動会みたいな感覚でした。 ――運動会みたいな感覚とは? 石川:運動会ってみんなで 1ヶ月前、2ヶ月前から練習するじゃないですか。その日に向けて一生懸命みんなで練習して友達、家族、親戚とかが見ている中で練習の成果を披露する。運動会でいえばリレーとか徒競走で一番になるという感覚と似ています。 もちろん運動会だって緊張もするし、緊張しないと集中力も上がらない。格闘技の場合は痛みや負けたら辛いというのもあるけれど、辛さ怖さ以上に楽しい気持ちが上回ります。だから現役時代に66戦も戦えたのだと思います。 ――ニュージャパンキックボクシング(NJKF)からデビューして、その後、全日本キックへ移籍しています。 石川:元々うちの岩本道場(現:青春塾)は全日本キックに所属していました。しかし、全日本キックの代表と岩本道場の先生との関係が悪化し、ジムの代表何人かが全日キックを辞めて、NJKFを設立。 僕はNJKFで1度デビューしましたが、新しい団体だったので運営が上手くいかず、僕が「試合したい」と言っても試合が組まれないこともあったんです。それで岩本道場ごと全日本キックに戻り、そのタイミングで道場名も「青春塾」に変更しました。 ――2005年「IKUSA GP」に出場し、準優勝していますね。 石川:「IKUSA GP」があった当時、全日本キックのフェザー級の選手層が厚かった。僕と山本元気、山本正真弘、前田尚紀の4人がフェザー級だったんですが、あらゆる団体のチャンピオンや外国人選手が来ても全日本キックのフェザー級には勝てなかった。 「IKUSA GP」は、K-1のHAYATO選手やTURBO選手をエースに開催していた大会。大会参加募集の知らせを聞いて僕は「IKUSA GPに出る。全日本キックが最強だと証明してくる」と、試合後のリングで言っちゃったんです。 結果的に山本正真弘と2人で出場し、決勝戦は僕と山本の全日本キック選手同士で戦いました。決勝で山本に負けたものの宣言通り「全日本キック最強」を証明しました。