沖縄・玉城デニー知事が記者会見(全文1)沖縄の全米軍基地の撤去は求めていない
沖縄県の玉城デニー知事は9日、東京の外国特派員協会で記者会見を行った。 ※【**** 00:35:30】などと記した部分は、判別できなかった箇所ですので、ご了承ください。タイムレコードはYouTubeのTHE PAGEチャンネル上の「玉城デニー沖縄知事が外国特派員協会で会見 9日午前11時から(2018年11月9日)に対応しております。 【動画】玉城デニー沖縄知事が外国特派員協会で会見 9日午前11時から(2018年11月9日)
玉城デニー知事、生い立ちを語る
玉城:ハイサイ、グスーヨー、チューウガナビラ。沖縄の言葉でごあいさつをさせていただきました。皆さんご機嫌いかがでしょうか。沖縄県知事の玉城デニーです。まず最初に、本日このような発言の場を与えていただきましたことを、まず感謝申し上げます。本当にありがとうございます。これから沖縄の基地問題、経済、福祉などの課題に対する私の考え方をお話しさせていただきます。最初は自己紹介から入りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 私は玉城デニーと名乗っておりますが、本名は日本の名前では玉城康裕と申します。本名は康裕ですが、母は私が生まれたときに、最初、私にデニスという名前を付けたため、それが小さいころからデニーというニックネームで呼ばれて今に至っています。私の父は元アメリカの海兵隊員で、母は日本人です。父は、私が母のおなかにいるときに、もうアメリカに帰らなければならないその任期が来ましたので、母と一緒にアメリカに渡るつもりでしたが、母は私が生まれてからアメリカに渡るので、先に行って待っていてほしいということで父が先にアメリカに帰りました。 私が生まれてから2歳ごろになるまでは、父と母は手紙のやりとりをしていたらしいのですが、母は私を連れてアメリカに行っても苦労するだろうということと、周りの皆さんにそういうふうな説得もされて、アメリカに行くことを断念し、父にその旨を告げました。そして父とやりとりをした手紙や父の写真は、もう全部そのときで焼き捨ててしまいました。ですから私はいまだかつて父がどこの出身で、どんな顔をしているのかということも知らないまま大きくなりました。 私が生まれたのは1959年ですから、ちょうどもう母がアメリカに行かずに私を自分の手で育てようと思っていた1960年代は、沖縄では基地の建設ラッシュであり、文字どおり基地を中心に経済が動いていましたので、母も私を友人の家庭に預けて、自分は住み込みで働いてできるだけ収入を得るという、そういう2人は離れて生活をしていた時期が10年ほどありました。 私は、父がアメリカ人、母が日本人ですから当然、外見からするともうアメリカ人のような、そういう雰囲気です。子供のころは髪の毛はもっと赤くて、今より色も白くて本当にアメリカ人の子供だと言われてもおかしくないぐらいの、その田舎の町にあってはやはり目立つ存在でもありました。私のようなこういう生まれを持っている人は、実はその当時はかなりの数、結構な数いましたが、やはり総じてそういう人たちはいじめの対象にもなっていたんですね。 そんなある日、私がいじめられて泣いて帰ってきたときに、母に代わって私を育ててくださっていたもう1人の母、そのもう1人の母が私を諭して言った忘れられない言葉を今日は紹介したいと思います。ちなみに私を産んでくれた実の母親のことを、沖縄の言葉ではアンマーと言っています。私を育ててくださった養母さんのことを、私はオッカーと呼んでいます。 オッカーがいじめられている私に教えてくれたことは10本の指は同じ長さや太さじゃないよ、だからみんな違って当たり前なんだからね、気にしないでねということだったんです。もう1つ、人間は外見の皮を脱げばみんな同じ人間だ。青い血や白い血や、ましてや紫の血が流れている人はいない。皮は、容姿は1枚の皮なんだから、そんなこと気にしないでいいんだよ、ということを教えてくれました。ですから小さいころから私は、いじめられていた経験を持っているんですが、肌の色などの違いを、このオッカーから、育ての親から、肌の色の違いを気にすることはないよと教えられたこともあって、それは個性だとして捉えられるようになりました。つまり、私の精神的なダイバーシティーというのは、その子供のころにすでに付けられていたんだなと大人になって気が付きました。 さて、私がこのように自分の生い立ちを語らせていただくことは、これからお話しいたします沖縄の多様性、寛容性などを大切にするという、持って生まれたアイデンティティー、そしてそのアイデンティティーに根差した私の政策を語る上で皆さんにも分かっていただきたい、前もって知っておいていただきたいという思いから話をさせていただきました。 何分まで? 通訳:全体として1時間なので、あと10分、15分。 玉城:15分ぐらい? 通訳:そのあと質問という感じです。