おっさんホイホイで何が悪い? ヤマハXSR900 GPに思う「バイク界の盛り上げは若者とベテランの両取りが必要」……〈多事走論〉from Nom
あの頃のライダーには懐かしく、今の人には新鮮?
ヤマハ「XSR900 GP」が発売1か月で年間販売予定台数(1000台)を超える受注で好調だという。1980年代のYZR500をオマージュしたというデザインやカラーリングに加え、欧州を中心にレトロカラーを再現するカスタムもメーカー自らが提案している(タイトル写真はランディ・マモラのラッキーストライクヤマハをイメージ)。いま筆者が思うのは──。 【写真】ヤマハ「XSR900 GP」と“あの頃”の8耐マシンたち
”聖地巡礼“のようだった頃の鈴鹿8耐を思い出させる
ヤマハのXSR900 GPの受注が好調とのこと。 初めて見たときのファーストインプレッションは「なんだこれ?」だったけど、なるほど往年のGPレーサーのオマージュだと説明されたら、これはこれでありかも知れないと感じたものです。 1980年後半から1990年代初めは、WGPが非常に盛り上がっていました。スターライダーも山ほどいて、ホンダならワイン・ガードナー、ミック・ドゥーハン、ヤマハはウエイン・レイニー、エディ・ローソン、ドミニク兄弟、スズキはもちろんケビン・シュワンツ。日本でも、ヤマハの平忠彦、スズキの水谷勝といったレジェンドライダーが一線で活躍していました。 そんなWGP人気、GPライダー人気を証明するひとつの象徴的な現象が、鈴鹿8時間耐久レースでした。 当時はまだ、いまのようにFIMのEWCシリーズにも組み込まれていない日本のローカルレースだったのにもかかわらず、日本メーカーのお膝元で開催されるレースということと、まだ需要が旺盛だったレーサーレプリカの販促活動という趣旨もあって、観客動員数が10万人を超える異様な盛り上がりを見せていました。 ──#21 FZR750[0W74]は1985年にテック21伝説の幕を開けた。ライダーはケニー・ロバーツと平忠彦。 そして、その人気を背景に、各メーカーとも必勝を期すために現役バリバリのGPライダーを惜しげもなく投入。ご存じの方もいると思いますが、あのレジェンドライダーのヴァレンティーノ・ロッシも2000年と2001年(コーリン・エドワーズと組んで優勝)に参戦しているほど、「鈴鹿8耐」は特別なレースだったのです。 ──#11 VTR 1000SPW[2001年優勝車] ライダーはヴァレンティーノ・ロッシ/コーリン・エドワーズ/鎌田 学