なぜ私たちは何でも「誰かのせい」にするようになったのか…意外と知らない「根本原因」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。 今回は、「健康」の観点からお話ししましょう。 いま世間の風潮としてはワーク・ライフ・バランスが重んじられるようになり、企業も社員が心身ともに健康な状態で働けるように配慮することが求められています。 しかし、いくら企業風土が変わろうとも、私たち自身が経営に失敗すれば、個人の健康はいとも簡単に損なわれてしまうのです。 例えば、塩分や糖分の摂りすぎは身体によくないということはよく知られています。しかし、過度に心配し過ぎて塩分や糖分を我慢しすぎると、その反動で大盛りラーメンをドカ食いしてしまったりしたらどうでしょうか。 1週間分の塩分と糖分を1日でドカ食いしてしまえば、プラスマイナスゼロどころか、血糖値や血圧の急上昇によって血管を痛め、別の病気を引き起こす危険性が高まります。つまり、部分的な合理性を追求して行動した結果、全体的な合理性を欠いてしまうのです。 また、1週間に1~2日でも休肝日を設けるだけで健康にはすこぶるプラスになるのに、「やっぱり今日も酒が飲みたい」という感情に流されて毎日飲酒してしまう(私も何度もこうした経験があります……)。 すると、やがては肝臓を壊して、大好きなお酒が全く飲めない生活になってしまうのです。短期的な利益を追求するがあまり、長期的な利益を損なっているのです。 あるいは「健康のために」と始めたランニングに没頭するあまり、腰や膝を痛めてしまうという人も珍しくありません。これはまさに手段が目的化してしまい、本来の目的であった健康を失ってしまう本末転倒ぶりです。 このように、部分に気をとられて全体を見失う、短期利益を重視して長期利益を逸する、手段にとらわれて目的を忘れるなど、健康をめぐる問題はそのまま経営の問題と同一であることがわかるでしょう。 そこで、自らの心身両面の健康という価値を経営課題として、問題解決の対象として捉えなおしてみるとどうなるでしょうか。 たとえば「醤油の味を楽しみたい」と「塩分摂取量を控えたい」という相反する要望を両立させるために、どのようなことが考えられるでしょうか。 醤油は舌の表面にある「味蕾」と接することで味覚として意味をもちます。ならば、味蕾と接しないほどの大量の醤油は、「醤油の味を楽しむ」ためには無意味なのです。 いま高級寿司店などでは、醤油を刷毛で塗ったり、スプレーで散布したという調理法が用いられています。これらは醤油の味を楽しみつつ、塩分摂取量を抑えるための知恵です。 飲酒についても同様です。アルコールを一切断つのが不可能であれば、ビールを飲むグラスを細いものに代えたり、焼酎の氷を多めにするなどによって、飲酒を楽しみながらもアルコール摂取量を抑えることができるでしょう。 このように健康も経営課題として捉えれば、自分の中にある要求と健康という対立を解消するための方法を編み出していけるのです。