「ひとり死の先輩」を看取って考えたシングル社会 最後の言葉は「自宅でこのまま死なせてほしい」
近年は、こうした親密な関係性を従来の親密圏とは区別して「オルターナティブな親密圏」と呼ぶことがある。 「生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮」を引き受けるのは並大抵のことではないからこそ、その前提として親密な関係が必要だといえる。 だが、私とKさんの事例のように、「親密」という言葉からイメージするよりはずっと弱い関係であっても、身寄りのない大家を失った唯一の店子として、引き受けざるをえなかった。私が単なるお人好しといえばそれまでなのかもしれないが、読者のみなさんも私と同じ状況に置かれたとしたら、私のようにせざるをえないのではないか。
幸いなことに、Kさんが亡くなってから2カ月後に音信不通だったKさんの姪御さんが見つかった。その姪御さんご夫婦にすべてを引き継いで、私がKさん宅から退去したのは、Kさんが亡くなって半年後のことであった。 ■仕方なく「巻き込み型親密圏」 ひとり死の先輩Kさんの事例は、身内に代わる支援やケアをめぐって深刻な問題が私に降りかかってきた事例であり、家族を前提とした社会のしくみが社会の急激な変動に対応できなくなる未来を先取りしている出来事でもある。
さらに、興味深いことに、高齢期シングルKさんのケアを、ミドル期シングルの私が行うというのは、まさに書名の通り『東京ミドル期シングルの衝撃』を象徴するような出来事のひとつではなかったかとも思える。 ひとり死だけでなく、ひとり暮らしの高齢者の終末期のケアや死後の問題については、私のような身近な他人としての個人の場合、支援現場でホームヘルパーや支援員のような福祉専門職や行政の担当者の場合でも、短期間の親密性や、従来の親密性よりもずっと弱い関係性の身近にいる誰かが、無理をして「巻き込まれる」形で対応している現状があるだろう。それをあえて親密圏と呼ぶなら、「巻き込み型親密圏」とでも呼んだらよいだろうか。