“名悪役”も人生は波乱万丈…89歳を迎え今伝えたいこと 俳優・八名信夫さん【中塚美緒のライブトーク】
岡山放送
いま旬な人や話題の人に直接会って話を伺う中塚美緒のLiveトーク、今回のゲストは映画やドラマで活躍する岡山市出身の俳優、八名信夫さんです。八名さんはこれまでの人生をつづったエッセイ「悪役は口に苦し」を2024年8月に出版しました。89歳を迎えた今、伝えたいこととは… 9月、岡山市内で開かれた八名さんの本の出版を祝う会。友人や仕事の関係者、そして長年のファンなど約200人が集まり、会場は大いに盛り上がりました。 (参加したファンは…) 「テレビで見る八名さんとは違った一面が見られて、温かい人、すてきな人だなと思った」 「昔「キカイダー01」という特撮番組で悪役のドンで出演していた。それからファン。一度会いたいと思っていた。きょうは胸いっぱい。良かった」 1935年、岡山市生まれの八名信夫さんは、元・プロ野球選手で俳優、特に名悪役として人気者となりました。故郷への愛も強く、岡山へ度々帰ってきては名産品をPRしたり、犯罪撲滅のための活動を行うなど幅広く取り組んできました。 Q:自伝を執筆されようと思ったきっかけは? (八名信夫さん) 「89歳になった。自分の人生を振り返って、生き方が良かったのか、ダメだったのか思い出しながらつづってみようというのが最初。そうしたらいろんなものが出てきた。みんなに知って欲しいことが」 ・・・9歳で体験した岡山空襲の事も書かれていました 「(1945年)6月29日、親父が「起きろ~!」と部屋に来て、びっくりして起きて、「空襲じゃぁ、逃げぇ!」と。表に出たら煙、煙、煙…で、軒下から火を噴いていた。同級生の女の子が、玄関にはい出している。血だらけで汚れて。俺は怖かった。助けてやれなかった。あの姿がいまだに消えない。すごく残酷。戦争はいろんなものを破壊するけれど、人の心まで変えてしまう。助かったのは野球をやっていたこと。ある時、米兵がキャッチボールをしていた。休憩時間に投げっこしていて。ジーッと見て、あれなんだろうってすごく面白いことがあるんだと。家に帰ってサツマイモを丸く切って、それを軍手で包んでボールを作った。それで投げたのが初めてのキャッチボールだった」 野球に夢中になった青年時代。岡山東高校(現:岡山東商業高校)では甲子園にも出場しました。 Q:ポジションでピッチャーが良かったのはなぜ? 「ピッチャーにはライトが当たっている。目立つ。目立たなきゃいかんなと思って」 1956年には東映フライヤーズに入団。プロ野球選手になりますが、シーズン3年目にケガをして現役引退。球団のオーナー会社である「東映」で俳優に転向することに。悪役を数多く演じ、俳優として名前を知られるようになります。 (八名信夫さん) 「徹底して悪役を勉強した。洋画を見たり、葉巻の煙をどうやって上げたら迫力があるか。顔を映すだけではダメ。葉巻の煙がぶぅっと上がる不気味さ。だからわざと後ろから映してもらったり。そういうことを勉強しながら迫力を出していった」 1983年には悪役を演じる俳優仲間と「悪役商会」を結成。CMや舞台にも挑戦し充実した日々を送る一方で、悩みを抱えていた時期もありました… ■人生の転機 (中塚美緒アナウンサー) 「八名さんの人生の転機を象徴するものがこちらの箱に…何も入っていないんですが?」 (八名信夫さん) 「いろんな人生が入っているな、その中には。もう役者をやめたい、岡山帰って何かやろうかなと思った(時に)、岡山に利生院という寺があって訪ねて行って。そこの住職が恩師。『お前な、人生を送るということは悩みを持って送っている、これが人生なんだ。全ての悩みを持った人間は、その悩みを乗り越える力を持っているということを忘れるな』と怒鳴ってくれた。それで俺は(俳優を)続けられた」 ■人柄に迫る (中塚美緒アナウンサー) 「5枚のカードから1つ選んでください」 (八名信夫さん) 「怖いな~怖いことをやらすな。これ、いこう」 ・・・青で。気になります。『やってみたかった職業』 (八名信夫さん) 「警察官。捕まりすぎてるからねぇ…逆にこっちが捕まえるのも面白いかなって」 ・・・役の中で、ね(笑) おちゃめな89歳、八名信夫さん。波乱万丈な人生を振り返って、いま、視聴者に伝えたいこととは… 「正直に生きて行ってほしい。みんなに。やる気があれば、正直に生きていけば、乗り越えることができる。頑張ろう、それしかない」
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