「M-1グランプリ2024」鑑賞記――そこにはただ、輝く漫才があるだけ
PVではバッテリィズVS令和ロマン&真空ジェシカで反知性VS知性という構図が描かれており、その解釈を求める向きも強いが、それは表面のモチーフにすぎない。大学お笑いをリライトするのはおバカだ! ライフイズビューティフルはやはり正義! とか言ってしまうのは簡単だがそれは代理店脳すぎである。そもそも大学に在籍したことがある人や、都知事選とかネットミーム的なワードを知性というのは、ちょっと知性というものをバカにしすぎやしないだろうか。どちらかというと真空ジェシカや令和ロマンの挙げるモチーフや展開は、知性というよりあるあるで、加えておバカ系とも言える勢いがあったから評価が高かったのではないだろうか。知性と反知性の二項対立的発想を、マーケ的視点に引っ張られると大切なもの、つまりお笑いの見方も分からなくなり、自分の好きなものも分からなくなる。そうするとまたトム・ブラウンが化けて出てくる。気を付けた方がいい。
まとめ
権威とは、審査員の面子でも印象でもなく、歴史のことである。歴史があるから、そして茶化さずに「ガチ」で向き合ってきた先輩方がいるから重みがある。つまりみんなで作り上げた20年間で、それらを全て却下するようなことはできない。キャンセルしていいことと、そうでないことがあるという是々非々の視点を持っていることがお笑いに関連する人たちの矜持なんだろうと思う。良いことも悪いことも、全て内包して進んでいくのが生きることである以上、過去を想うこともまた必要なことだろう。