「M-1グランプリ2024」鑑賞記――そこにはただ、輝く漫才があるだけ
エース氏の「生きているだけでいい」的思想は、まぎれもなく彼が憧れている明石家さんま氏の「生きてるだけで丸儲け」を継いでいる。好きとか嫌いとか、大学お笑いだとか養成所だとか、何が知性で何が知性じゃないとか、東京だとか大阪だとか、吉本だとかそうじゃないとか、若いとか若くないとか、全部関係ない。そこにはただ、輝く漫才があるだけなのに。それだけでいいのに。それだけでよかった。
ママタルト
この形式だと類似の漫才との比較で不利になっている。今年割と芸人やファン界隈で言及された表現として「シャバい」というものがある。額面通り受け取ると俗っぽいとか、大衆迎合しすぎという表現だが、M-1が国民的なものである以上はある程度のシャバさは必要である。その調整がなかなか難しいところである。
エバース
お笑いファンは長い間この日を待ち望んでいたことだろう。逆に言うと彼らにとってはかなりプレッシャーの多い年だったように見受けられる。そもそも過去に「M-1」のファイナリストだったことはないのに、ものすごく期待されすぎていた。その期待や、ABCお笑いグランプリでの悔しさを糧にジャンプアップし、今年1年の中でもベストのパフォーマンスを発揮できたのではないだろうか。ネタ自体もいい塩梅のモチーフと展開である。「どうでもいい」と思われて心が離れない程度の没入感を与えることに長けていた。消費されすぎることもなく、世間にも印象づけることができ、かなりの健闘だったと思う。
トム・ブラウン
ベースの展開に整合性を求めたいが大喜利力の強さもほしい、そして競技漫才としての戦略も立ててほしい。すなわち、なにもかものバランスを取った漫才でなければ……とか思っていると、先述した通り何も分からなくなり、もう漫才を見るのをやめようかなとすら思う日々を過ごしていた。今回のファイナリストが発表された時、「バッテリィズが無理なら、トム・ブラウンに優勝してほしい」という、トムブラ待望論を抱いた。