「軍事オタク」が専門家から全く相手にされない3つの理由 元海上自衛官が冷静に分析する
理由3「お理工さんだから」
第三は、「社会の仕組みがわかっていない」ことである。 防衛行政もまた社会的諸条件の制約を受ける。安全保障政策として見ても政治の一要素でしかない。当然ながら社会保障政策や教育政策ほかの行政分野と資源配分で競合する。平時なら予算等で後回しになるのも仕方はない。これは専門家でなくてもそのように考える。 しかし、軍事マニアにはその観点はない。制約は“推し”である自衛隊を強化する上での障害と見て憎悪する。「新兵器を買うためには、10式戦車1200輌(りょう)を達成するためには、国産の極超音速ミサイルを実現するためには」社会保障への資源配分はしてはならないと考える。 これは 「科学技術偏愛」 の影響である。マニアはメカミリとしてもくくられるように工学以下に過度な興味を持つ。その反動として ・社会科学 ・人文科学 は軽視し蔑視している。だから「防衛費を二倍にすれば、社会保障を半分にすれば、自衛隊は強化できる」と平然と話すのである。 まずは 「お理工さん」 な主張ばかりとなるのである。これは元3等海佐(中級幹部)の筆者(文谷数重、軍事ライター)が7年前に作った表現である。軍事マニアに加えて宇宙開発マニア、原子力応援団を評する言葉としてそれなりに使われている。いずれも 「技術的に障害がなければ何でもできる」 と考えている。政策採用ではフィジビリティやアクセプタビリティーの問題をともなうこと、そこには社会的諸要素も含まれることを理解していない。 いまだに国産戦闘機以下の兵器国産化を持ち出すのはそれである。技術的に可能なだけで飛行機や戦車、ミサイルは全て国産化すべきと主張している。国民生活が厳しくなり、こども食堂まで出現した日本にはその余力はない。その兵器国産化で他の防衛支出も圧迫される。自衛隊を弱体化させる筋悪案件ともなる。そこには気が回らない。 そのため専門家は敬遠する。技術的に可能でも政策として採用可能とは限らない。それを理解しない人では話は通じないからである。
商売相手でもない
なぜ専門家は軍事マニアに冷淡なのか。以上がその理由である。 付け加えるなら商売相手でもない。軍事や安全保障の専門家は軍事マニアを相手にした仕事ではない。これは交通政策の専門家は 「鉄道マニアを顧客としない」 ことと同じである。 もともと歓心を買う必要はないのだ。素っ気なく扱うのは当然だし、マニアの振る舞いからすれば没理非漢として扱うのである。
文谷数重(軍事ライター)