千葉で“行列のできる平壌冷麺専門店”を切り盛りするヨンヒさんが明かす「命がけの脱北」と「日本での夢」
国境の川で48時間も漂流
ヨンヒさんの周囲は一見、脱北の必要がない上流階級ばかりで、彼女自身も、大学卒業後は北朝鮮の軍隊に入り、“上”を目指すつもりだったという。彼女の心を変えたのは、脱北に失敗した親族の言葉だった。 「脱北後に中国で捕まり、刑務所生活を終えて戻ってきた親族と話す機会があったんです。その人に“この国に未来はない。広い世界に行ってほしい”と強く言われました。この国を信じて疑わなかった自分には衝撃的なことで……話を聞くうち、脱北への決意が固まりました」
2015年夏、ヨンヒさんは脱北を実行した。目標は、外国の韓国大使館で保護されること。まず、隣国中国での保護を目指したが、中国は警備が厳重なので、中国の南に国境を接するラオスの韓国大使館を目指すことに。 「脱北にはブローカーの助けを借ります。そのブローカーによって、脱北方法もさまざまなようです。費用はいまは日本円で500万円でも足りないといわれていますが、私のときは、100万円を彼らに支払いました。 まずは深夜に北朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江(おうりょくこう)という川を泳いで渡り、中国に入国するつもりでしたが、思いのほか流れが速く、下流に押し流されて48時間ほど遭難しました。なんとか中国に入国できたものの中国側にはカメラが多数設置され、パトロールも頻繁なので、必死に隠れながら山の中を歩きました。岩肌には、赤いハングル文字で“脱北者は殺せ”と何箇所も書かれているのが見えました。 暑さと喉の渇きで、“ここで死ぬのも捕まって殺されるのも同じ”と思い、見つかることを覚悟で国境の川に下りて水を飲みました。そのとき、たまたま通りかかった中国のトラック運転手のおじさんに助けられ、積荷に紛れて移動することができたのです」 命拾いをしたヨンヒさんだが、北京、瀋陽、昆明と中国大陸を5000km以上南下しなければラオスにはたどりつかない。なんとかラオスの国境を目の前にした雲南省まで行きついたが、「捕まったら北朝鮮に強制送還される」ことで有名な現地の警察署で取り調べを受け、牢獄に放り込まれた。 「死刑になるのは覚悟の上でしたが、家族が全員殺されるのだけは避けたかった。どうにかしようと、看守に貴金属のアクセサリーや米ドルなどの持ち金を賄賂として渡そうとしましたが、受け取りを拒否されて……。最悪の事態を覚悟しましたが、なぜか釈放されたんです。理由はいまだにわかりません。そこから国際バスに忍び込み、ラオスの首都、ビエンチャンにある韓国大使館に命からがら到着したのです」