「あの日」徒歩で向かった故郷・神戸 おむすびで市職員役の新納慎也さんが語る心の傷
平成7年1月17日に起きた阪神大震災は来年で発生から30年になる。神戸市出身の俳優、新納慎也さん(49)は学生だった当時、下宿していた大阪から神戸にある実家へ向かった。電車が不通となった線路を歩き、たどりついた故郷。あの日の神戸と後に自覚する傷、今の思いを尋ねた。 【写真】朝ドラ「おむすび」で、阪神大震災の避難所で被災者に対応する神戸市職員を演じる新納慎也さん ■物が一瞬宙に浮いた 大阪府内のマンションに暮らしていた7年1月17日午前5時46分。ドンと下から突き上げられて目が覚めたという。部屋の中の全ての物が一瞬宙に浮き、ベッドにしがみついた。経験したことのない揺れに地震だと理解できず、「大学の友達が、ふざけてマンションを揺らしている」という突拍子もない考えすらよぎるほどだった。 震源地も分からないまま、神戸に住む家族に電話し無事を確認したが、テレビに映ったのは建物が倒壊し、火災が広がる神戸。不安に襲われ再び家族に電話したが、つながらなくなっていた。 「とりあえずは水」。そう思い、ペットボトルの水を買ってリュックに詰め込むと、両手にも抱えて実家を目指した。大阪市内から神戸方面に直接向かう電車は止まっていた。兵庫県三田市を経由して北側から入ることにしたが、ところどころで不通に。乗客たちは線路の上を歩いた。皆、黙ってうつむいていた。 目にしたがれきだらけの神戸は「爆弾が落ちたみたいで、映画の中にいるようでした」と振り返る。印象に残っているのは宙を舞い、足元に積もる大量の紙。窓ガラスが割れてなくなったビルから、降り続けていた。 ■自分にもあった傷 半日かけてたどり着いた実家は神戸市内でも山側にあり、大きな被害はなかった。家族や周辺の人々は「片付けたり、会社に行き得意先に電話して安否を確認したりと、忙しそうでした」。ライフラインは生きていたが物流が止まり、生活は不便に。邪魔にならないよう数日で戻った大阪の街は、既に何事もなかったかのように映った。 3カ月ほど実家と行き来し、避難所で暮らす友人を見舞うなどしたが、繁華街である神戸・三宮の様子を見にいくと、「やじ馬的に街を見に来ている人」の存在に気づいた。ほこりっぽい服を着た人々の中に、スカート姿でハイヒールを履いている人、リュックを背負っていない人がいる。 「『どないなってんのか』という好奇心ですよね」と振り返るが、憤りは覚えなかったという。「僕が三宮に行ったのも同じような理由。神戸の人間だという言い訳があっただけです」