「備えをしない人は文句を言う権利はない」 避難生活の現実と後悔 東日本大震災の避難所経験者に聞く、今すぐすべき備えとは
2024年3月11日。東日本大震災から13年の時が経ちました。防災の大切さが叫ばれる中、実際に避難所生活を経験した人は、今どのような備えをしているのか。13年前、福島県浪江町で被災し、5か所の避難所を転々とした経験を持つ五十嵐浩子さんにお話を聞きました。
「5か所の避難所を転々とした」電力の重要性や寒さ対策
浪江町で震度6強の揺れが発生した時は、仕事中だったという五十嵐さん。自宅は海から5キロ離れていたので大丈夫でしたが、福島第1原子力発電所の10キロ圏内にあったため、翌日から町ごと避難になりました。 震災後は、原発事故の影響で、五十嵐さんは2歳と5歳の子どもを連れ、避難所を転々としたといいます。 (被災経験者・五十嵐浩子さん) 「2011年の5月までは、福島県内の5か所を移動しながら転々と避難した。その後、岐阜県高山市まで一気に避難した」 現在は高山市に住んでいる五十嵐さん。当時の経験から避難生活に必要だと感じたものを、防災バッグに常備しています。栄養食品を含む食料や水から、ラジオや懐中電灯、薬など医薬品まで、一時避難を想定し、さまざまなものが入れてあります。 バッグの中には、折り畳み式のソーラーパネルも。五十嵐さんが避難生活で特に感じたのが電力の重要性。電力の確保は、同時に情報の確保にもつながります。電力が復旧した後でも、限りあるコンセントの確保に苦しんだといいます。 (被災経験者・五十嵐浩子さん) 「電気が通らないと、携帯電話などの充電ができなくなり、大事な情報を取れなくなる。コンセントはたこ足配線のようになり、みんなが充電器をさして使っていた」 また、記憶に強く残っているのは、避難生活の寒さという五十嵐さん。寒さをしのぐためのアルミのシートも常備しています。 (被災経験者・五十嵐浩子さん) 「本当に寒かったです。毛布にくるまって、子どもと一緒にギュッとしていた。暖かくなれるグッズは備えておいてほしい」 防災バックだけではなく、在宅避難を想定して、家の中には家族4人が最低でも1か月は生活できるよう、食料や日用品などを常備しています。