「入団拒否」選手は延べ500人超!歓喜ばかりではなかった「プロ野球ドラフト会議」の歴史
不人気球団の悲哀
阪急・オリックスもギャンブル指名の傾向が見て取れる。1980年、西武希望の川村一明(松商学園)、1998年、ダイエー希望の新垣渚(沖縄水産)、2000年、巨人希望の内海哲也(敦賀気比)と1位指名選手の入団拒否が3度あり、78年以降では最多。そのいずれもが高校生の投手で、その後、他の球団に入っている。 80年代に毎年のように入団拒否があったロッテは12人で最も多かった。入団拒否の理由は、ほとんどが「希望球団ではない」であり、6人の南海・ダイエー、8人の近鉄などとともに、不人気だったパ・リーグ球団の悲哀が垣間見える。 石川哲也(いしかわ・てつや) 1977年、神奈川県横須賀市出身。野球を中心にスポーツの歴史や記録に関する取材、執筆をライフワークとする「文化系」スポーツライター。 ※トップ画像は、「Photo by Adobe Stock」