「入団拒否」選手は延べ500人超!歓喜ばかりではなかった「プロ野球ドラフト会議」の歴史
「江川事件」の衝撃
そんななかで「江川事件」が起きた。巨人入りを希望した江川卓は作新学院時代の1973年に阪急の1位指名を拒否、法政大を経た1977年のドラフトではクラウンライターの1位指名を拒否した。 1年浪人後の1978年にドラフト前日「空白の一日」を突いて巨人と契約を強行したが、ドラフトでは阪神が1位指名し、形式上、阪神入団後、キャンプ前日に巨人へとトレードされた。江川の1位指名3度、拒否2度はともに最多だ。
「逆指名」が恒例化
その後、ドラフト前になると新聞、テレビなどメディアを通して、ドラフト候補選手が希望球団を指名する「逆指名」が恒例化する。 「逆指名」は1993年から2006年まで大学、社会人に限り制度化されたが、「江川事件」が、そのきっかけのひとつになったといってよいだろう。
1978年以降の球団別の指名拒否数
「江川事件」のあった1978年のドラフトは指名拒否が4人と初めて一桁になった。以降、指名拒否は一桁で推移し、1987年に初めてゼロとなる。創設13年目となる1978年を境に、ドラフトによる選手獲得が定着し、安定期に入ったと見ていいだろう。1978年以降の球団別の指名拒否数は次のようになる。 阪神:0(1977) 広島:1(1978) 西武:1(1981) 中日:4(2014) 巨人:4(2015) 日本ハム:4(2016) 阪急・オリックス:5(2000) 大洋・横浜:5(2006) ヤクルト:6(1989) 南海・ダイエー:6(1991) 近鉄:8(1996) ロッテ:12(2008) ※カッコ内は最後に入団拒否があった年度、楽天は2004年からのドラフト参加でこれまで指名拒否はなし
指名拒否の数からスカウト方針が見えてくる?2012年、大谷翔平を強行指名
阪神は1978年1位の江川も入団後の移籍という扱いになるので、この間の指名拒否はゼロ。1977年4位の池田親興(高鍋)以来、47年間指名全選手が入団している(池田は法政大、日産自動車を経て83年2位で阪神に入団)。人気球団ということもあるが、ドラフトでギャンブルはせず、堅実な指名をしているということだろう。 この間、指名拒否1人の広島は育成力が高いこともあり、地道なスカウト活動で素材型の高校生を中心に指名しているのが拒否の少ない要因か。逆にキャンブル指名の傾向が高いのが78年以降、4人に拒否されている日本ハムだ。 2012年にはメジャー入りを希望していた大谷翔平(花巻東)を強行指名し、この時は首尾よく入団にこぎつけたものの、1980年に1位で西武希望の高山郁夫(秋田商)、2006年に大学・社会人4巡目で巨人希望の長野久義(日本大)、2011年に1位で巨人希望の菅野智之(東海大)、2016年に6位で3位以上での指名を希望した山口裕次郎(履正社)を強行指名し、入団を拒否されている。