現役東大生の経営者が考える「使えない高学歴者」が生まれる理由「専門スキルを身につけるために、労働者や同僚としてのスキルを捨てた人が多い」
専門家としての能力があるだけではダメ
ということで、採用にあたっては『先生としての能力』『労働者としての能力』『同僚としての能力』を見ている、という話でした。 この話を聞いて僕は、「高学歴に関しても、まさに言えることだ」と感じました。 「先生としての能力」は、「専門家としての能力」と言い換えることができます。そして大抵の場合、会社は「労働者としての能力」と「同僚としての能力」ではなく、「専門家としての能力」を見て採用を行っています。 プログラミングのスキルを持っているか、英語が使えるか、法律について専門的な知識を有しているかなどは、履歴書や面接で測れる場合が多いですよね。ですから、「専門家としての能力」があることを確認して会社に採用するわけです。 そして、高学歴は「専門家としての能力」は申し分ないことの方が多いでしょう。英語が話せる、専門的な知識がある、文章を書くスキルが高い、などですね。 でも、「労働者としての能力」と「同僚としての能力」はどうでしょうか? 部下として扱うと、「労働者としての能力」が低くて上司や会社の慣習に従ってくれないこともあるでしょう。「同僚としての能力」が低くて、軋轢を生んでしまったり衝突を繰り返したりすることもあるでしょう。 どんなに「専門家としての能力」が優秀だとしても、能力があったとしても、「労働者としての能力」と「同僚としての能力」が著しく欠けていると、「いい人材」にはならないのです。 ここで「上司から連絡が来ていないときのリマインドのやり方」を想像してみましょう。 AさんとBさん、あなたはどちらと一緒に仕事をしたいですか? Aさん 「こちらの案件、進捗どうですか?」 Bさん 「こちらからリマインドの連絡できておらず申し訳ありません。この案件、進捗いかがですか? お忙しいとは思うのですが、ご連絡お待ちしております」 別に、Aさんが仕事として間違っているわけではないですよね。「もうちょっと言い方ってもんがあるだろ」と思わないわけではありませんが、でも別に間違っているわけではありません。 英語の筆記試験で「上司への連絡を英語で書きなさい」という問題があったときに、Aさんの言ったことを英語で書けば正解になります。それに「進捗の管理」という専門家としての責任はしっかり果たしているので、問題はないわけです。 とはいえ、おわかりだと思いますが、Bさんの方が、労働者としてコミュニケーションが円滑にできますし、一緒に働く上では気持ちがいいですよね。 このように、「専門家としての能力」が高くても、「労働者としての能力」「同僚としての能力」が低いと、Aさんのような連絡をして、人間関係に不要なストレスを生んでしまうのです。