K-POP第1世代、g.o.dが語る結成秘話「韓国の音楽とアメリカの音楽を融合させたかった」
「完璧な仲間」との出会い
「私は他の人の真似はしたくなかった。韓国の音楽とアメリカの音楽を融合させて、そのギャップを埋めたかったんです。その感覚を持ちながら、前向きなメッセージを伝える。そう簡単にはできないと思いましたが、これが本当に自分がやりたかったことだし、できると思いました。そして完璧な仲間に出会いました」 その“完璧な仲間”とは、K-POPの大物プロデューサーであり、芸能事務所JYPエンターテインメントの創設者であるJ.Y. Park(パク・ジニョン、通称JYP)と、BTSの所属するHYBEの創設者兼会長のBang Si-hyuk(パン・シヒョク)だった。 どちらも90年代後半から2000年代初頭にかけて、g.o.dの楽曲制作に携わり、JYPはg.o.dの初プロデュースを手掛け、パン・シヒョクはg.o.dに楽曲提供をすることで、プロデューサーとしての名声を築いた。ヒットメーカーとして有名になったパン・シヒョクは、“ヒットマン・パン”というニックネームが付けられた。 彼らがプロデュースした楽曲「To My Mother」「Lies」「One Candle」「Road」「Friday Night」「Sky Blue Balloon」などは、今やK-POPのクラシックとして知られている。「Sky Blue Balloon」はg.o.dからファンへの賛歌であり、グループの公式カラーであるスカイブルーにちなんだ楽曲である。 g.o.dの成功の鍵の一つは、恋愛や人生、喪失感といった人々の体験をテーマにした、シンプルかつ深みのある歌詞にある。例えば、デビュー曲「To My Mother」は、母親が愛と犠牲を自分のために払ってくれたことに気付かず、感謝しなかったことを後悔する息子の物語を描いている。この曲は韓国のラジオでも最もリクエストされ、家出をした10代の若者がこの曲を聞き泣きながら家に戻ったというエピソードもある。 2001年のリリース後、韓国の音楽チャートでトップを飾り、数多く賞を受賞した楽曲「Road」は、人生の夢や目標、選んだ道、そしてその先で直面する不安について問いかけている。 今後、英語の歌詞をより多く取り入れる可能性があるかどうかを尋ねると、パク・ジュンヒョンはこう答えた。「音楽は、歌詞を聞かなくても心を動かすものです。何か響くものがあれば、英語の歌詞を入れることもあると思いますが、基本的には韓国語の歌詞を使っています」 続けてパク・ジュンヒョンは、「最近、たくさんの世界中のK-POPファンが韓国語を学んでいてとても素敵だと思います。みなさんは韓国語の歌詞を解読するのを楽しんでいるようで、実際に多くの人から『韓国語を少し勉強してからg.o.dの曲を聞き直したら、歌詞にとても感動した』というDMがたくさん届きました」と語った。 また、デニー・アンは「To My Mother」を聞いて涙を流す海外YouTuberのリアクション動画を見たことがあると話した。「『To My Mother』は母親に関する曲なので、韓国人だけでなく世界中の人が歌詞を理解したときに同じ感情を抱くと思います」。続けて、「ジュンヒョンが言ったように、多くの人々が韓国語を学んでいる今、私たちの曲が韓国語学習の助けになるなら、もっと素晴らしいことではないでしょうか?」と笑顔で付け加えた。 g.o.dは、K-POP(K-R&BやK-HIPHOPを含む)が始まった当時に結成され、圧倒的な影響力を持つグループであり、g.o.dの音楽を知らない新たな海外のK-POPファンに説明するのは難しいだろう。しかし、キム・テウは以下のように語った。 「私たちは第一世代のK-POPグループなので、K-POPアイドル文化が形作られ始めた頃に登場しました。当時、K-POP業界は世界を見通しておらず、韓国国内で活発に活動していました。私たちg.o.dはアメリカからR&Bやヒップホップを取り入れて、それを韓国のスタイルで解釈しました。おそらく、これが今グローバルなファンの皆さんが私たちの曲を聞いても違和感なく楽しんでもらえる理由の一つだと思います」