K-POP第1世代、g.o.dが語る結成秘話「韓国の音楽とアメリカの音楽を融合させたかった」
1999年にデビューした男性5人組のK-POPアイドルグループg.o.d(Groove Over Doseの略)は活動開始から25年を迎えた。韓国アイドル第1世代の国民的グループとして、90年代後半からから2000年代初頭のg.o.dの成功がなければ、今日のK-POPシーンは大きく変わっていたかもしれない。K-POPの先駆者であるg.o.dに音楽業界での長い道のりと「運命」について語ってもらった。 【画像】写真で見る「BTSの名曲100選」 6月に開催された世界最大の韓国ポップカルチャーフェスティバル「KCON LA」に出演したg.o.d。同フェスの開催前、KCON USAの公式Instagramアカウントが、ピリオドなしでグループ名を投稿すると、いくつかのコメントや宗教的なジョークが見られた。中には「12人の使徒も連れてくるの?」や「KCONで携挙(プロテスタントにおけるキリスト教終末論で起こる出来事)が起こる」といったコメントが投稿された。 長年K-POPを愛し、g.o.dという生きる伝説のことを聞き続けてきたファンにとっては、それくらい大事なのだ。1999年にデビューしたg.o.dは、2000年代初頭にかけて成功した、韓国の人気アーティストのうちの一組である。メンバーは、Joon Park(パク・ジュンヒョン)、Danny Ahn(デニー・アン)、Son Ho-young(ソン・ホヨン)、Kim Tae-woo(キム・テウ)、Yoon Kye-sang(ユン・ゲサン)の5人からなる。 当時、他のK-POPグループはバブルガムポップやEDM、ロックを取り入れた楽曲を披露していた一方で、g.o.dはR&B、ラップ、ヒップホップ、ファンク、そして韓国のバラードをユニークに融合し、音楽に韓国的な感性を注ぎ込んでいた。さらに、当時すでにK-POPの音楽シーンに英語の歌詞が入り始めていた中で、g.o.dはほとんどの楽曲を韓国語でラップ、または歌い、彼らの現実的でストーリー性のある歌詞で知られるようになった。 g.o.dの3枚目と4枚目のアルバムはそれぞれ100万枚以上を売り上げ、4枚目のアルバムは2001年11月のリリースからわずか1カ月で140万枚以上を売り上げる快挙を成し遂げた(その後、2017年にBTSがアルバム『Love Yourself: Her』を13日間で120万枚以上売り上げるまで、g.o.dの売り上げ記録を上回るK-POPアイドルグループは存在しなかった。)。g.o.dは2001年の主要な音楽賞を総なめし、ゴールデンディスク賞やMnet Music Video Festival(現在のMAMA賞)、韓国の主要3大放送局(KBS、MBC、SBS)からは大賞を受賞した。また、2002年から2003年にかけて韓国で100回以上のコンサートを行い、全席完売を記録した。 g.o.dはK-POPグループとして初のリアリティ番組「g.o.dのベビーシッティングダイアリー」に出演。メンバーは生後11カ月の乳児の世話をするという内容だった。g.o.dのその親しみやすい態度と雰囲気、心に響く歌詞、パワフルなボーカルから、当時「国民的グループ」というニックネームが付けられていたg.o.dにとって、ぴったりな冠番組となった。 g.o.dの成功がなければ、今日の多くの人気K-popグループは存在していなかったかもしれない。実際に、ATEEZ、TWICE、IU、ITZY、LE SSSERAFIM, NCT DREAM、NMIXX, クォン・ウンビなど、数多くのK-POPアイドルがg.o.dをロールモデルやインスピレーションとして挙げている。 今年のKCON LAのM COUNTDOWNでのパフォーマンス直前、g.o.dに話を聞く機会を得た。イメージ通り、g.o.dは謙虚で率直なグループであり、音楽業界での25年間の経験に裏打ちされたカリスマ性を放っていた。 「私たちは本当にフィルターがないんです」と、グループの創設者兼リーダーのパク・ジュンヒョンは言う。米カリフォルニア州でサーフィンやスケートボードを楽しみ育った、活発でエネルギッシュな韓国系アメリカ人のパク・ジュンヒョンは、1990年代後半に自身の姉が持っていた写真を見た韓国の音楽関係者の目に留まり、オーディションに招待された。「音楽関係者は、私ともう一人の男性で、ダリル・ホール&ジョン・オーツのようなデュオを作りたがっていました。でも『いや、デュオはやりたくない。ニュー・エディションやイン・シンクのようなボーイズグループを作りたいです』と伝えました」とパク・ジュンヒョンは語る。 そこで、パク・ジュンヒョンは従兄弟のデニー・アンをスカウトし、デニーからは友人のソン・ホヨンを紹介された。「そのあと、ゲサンがグループに入ってきて、最後にテウが加わって、g.o.dを結成しました」とパク・ジュンヒョンは言う。 「運命だよね!」キム・テウが笑いながら付け加えた。 次に難しかったことは、グループ名を決めることだったという。「グループ名は『god』にしようと言ったのですが、この場合神様を直接的に意味しているわけではないから大文字は避けようと考えました。特定の宗教を指していたわけではなくて、“私たちの心の中に神様がいる”という意味でgodにしようと思っていました」とパク・ジュンヒョンは語った。 しかし、名前の決定にはもう一つ小さな問題があった。「韓国では『god』とうまく発音できないんです」とパクは言う。「みんな『gaht』や『goht』など発音したり、誤って読むと『joht』(韓国語の俗語でペニスを意味する)になったり……ちょっと変ですよね?」。そこで、グループ名は「g.o.d」を略語にした。パクは「メンバーはグルーブやファンキーな音楽が好きなので、名前を『Groove Over Dose』にして、頭文字をとって『g.o.d』にしました。でも、本当の名前はピリオドなしで『god』です」と語った。 “K-POP”が始まったばかりの頃、g.o.dはグループ名を考える際に、国内での活動だけを念頭に置いていた。「私たちは韓国だけで活動していました。韓国人にとって『god』という言葉は、外国人にとってのような大きなインパクトはないので」とアンは説明する。「今ではK-POPが世界的に人気だから、海外にも行けるようになりましたが、当時はこんなことが起こるなんて考えてもいませんでした。海外の人が『g.o.d』というグループ名を見たらものすごく驚くに違いないですね」 今日、多くの専門家が、K-POPの世界的な人気の理由として、アジアの音楽と洋楽が自然に融合していることを挙げているが、最初からうまく行っていたわけではない。g.o.dのような先駆者が韓国の音楽業界の水準を引き上げたと言えるだろう。「当時、韓国のアーティストがヒップホップやポップミュージックをやっているのを見ましたが、他の曲をただ真似しているように見えました」とパクは言う。