「恥を知りなさい!」三原じゅん子新大臣の結婚と離婚と政界処世術
安倍推しに転身
彼女は「二足のわらじを履けるほど国会議員の仕事を甘くは考えていない」として、当選した場合は、女優を引退すると宣言し選挙活動に取り組んだ。ある意味、立派である。 「出馬が決まった時にも、彼女の紹介は『金八先生』ばかり。その後、女優として代表作といえる作品に出合えなかったわけで、女優業引退にちゅうちょはなかったでしょうね。むしろ、それを武器にして、柔道と議員活動の両立を宣言していた民主党のヤワラちゃん・谷亮子を、『死ぬ気でやっているほかの候補に失礼だ』などと批判。敵を想定した戦い方は大したものでした」(同・政治部記者) まさにケンカを売るヤンキー選挙。およそ16万8000票を獲得して見事当選した三原議員、その後の動きも素早かった。翌年「週刊新潮」(11年3月17日号)のグラビアでは趣味のプラモデルを披露している。 「カーレースが趣味というのは知っていましたが、プラモデルは初耳でしたね。しかも、夢中になっているのは戦艦大和や護衛艦といった軍事モノという。それじゃあ、石破さんの趣味そのままですからね。彼女が国会で発言した“八紘一宇”も石破さんの歴史観の影響という声もあります。ブログでも石破さん推しだったように、12年の自民党総裁選では彼女は石破さんに投票しました」(同・政治部記者) そして参院2期目となる16年7月の選挙では、比例ではなく神奈川県選挙区から出馬した。 「実はこの時、自民党からの公認がなかなか下りませんでした。というのも、彼女が総裁選で安倍さんではなく石破さんを支持したからです。もともと安倍さんのお気に入りだっただけに、裏切り者と見なされるようになっていたんです。彼女らしくない見込み違いでしたが、なんとか公認をもらえて、当選できたわけです」(同・政治部記者) さぞやつらい選挙戦だったかと思えばそうでもない。16年10月には、24歳年下の公設第2秘書だった中根雄也氏との再々婚も発表された(結婚時、中根氏は私設秘書)。参院選で彼女の選挙スタッフとして働いた縁で、8月から交際に発展、9月に公設秘書となり、すぐに同棲をスタートしたという。 この時期、政治家として、一つの「爪痕」を残す。2019年年6月24日、参議院本会議で彼女が、問責決議案を提出された安倍首相(当時)を庇(かば)い、返す刀で野党を叱りつけた迫力の演説が評判となったのだ。 〈……政権交代から6年余り。民主党政権の負の遺産の尻拭いをしてきた安倍総理に、感謝こそすれ、問責決議案を提出するなど、全くの常識外れ、愚か者の所業とのそしりは免れません。野党の皆さん、もう一度改めて申し上げます。恥を知りなさい!〉 それでも安倍政権での入閣はかなわなかった。 同年8月28日、安倍首相が辞任を発表すると、三原氏の動きは素早かった。 「9月1日には、彼女は自身のブログに〈菅総裁誕生へ、しっかりとお支えさせていただきます!〉と書きこみ、14日の総裁選に向けて、参議院無派閥有志11名を結成。“菅応援団”として選対本部に入り込みました。菅さんの決起集会では、出迎え役を買って出るなど、その身の振り方は鮮やかでした」 そして菅政権が誕生し、三原氏は、厚労副大臣として初入閣を果たす。それから5年、ついに石破内閣でこども政策大臣を任ぜられることとなったのである。 前編(「カメラマン暴行」もあった三原じゅん子 「顔はやばいよ」大臣版「ザ・ノンフィクション」)で触れたように、若い頃のヤンキー的な武勇伝、カメラマンへのリアル暴行など、三原氏の人生は、いわゆるエリートとはまったく異なるものだ。しかしながらそれらは政治家として必ずしもハンデとはならない。その波瀾万丈の人生経験が、前向きな形で「こども政策」に生かされる日が来るだろうか。 デイリー新潮編集部
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