「推理小説書くよう仕向けられた」松本清張、視野狭き純文学文壇へ小さな抵抗
清張の作品、じつは推理小説ばかりではなかった
清張は一般には推理小説家として知られているが、しかし彼の全業績の中で推理小説が占める割合は、思われているほど大きくはなく、量ではおそらく全体の三分の一も無いだろう。清張は、小説では推理小説以外の時代ものや現代もの、さらには専門家の仕事と言ってもいいほどの、古代史や現代史の本格的な歴史書など、実に広大な領域の仕事をしているのであるが、初期の短編小説群にはその萌芽を見ることができる。次に、そのうちの短編小説の、歴史ものについて見ていこう。 たとえば「特技」(1955年5月)や「山師」(初出「家康と山師」、1955年6月)は、鉄砲の腕や金の鉱脈を見つける才能など特異な才能を持つ人物が、権力者に評価されて出世するものの、その特異な才能ゆえに逆に権力者から疎(うと)まれもする話で、権力者に疎まれたときの恐怖感が読者にも伝わってくるように語られている。権力者に疎まれるのは臣下だけではない。「面貌」(1955年5月)は、徳川家康が百姓あがりの茶阿の局(つぼね)に産ませた辰千代の話で、赤ん坊だった辰千代は人から好かれない容貌だったため、家康からは「捨ててしまえ」とまで言われた。名を忠輝と改めて四位の武将となるが、大坂夏の陣のときにはつまらぬ失敗をしたりして、家康の不興をさらに買ってしまう。結局、松平忠輝は信州の上諏訪に流され、その地で93年の生涯を終える。醜悪な面貌ゆえに父家康にも家臣にも愛されなかった将軍の子の、憐れで数奇な人生が語られている。 このような歴史もので清張は、権力との関係の中で生きざるを得ない人間が感じる不安や恐怖、さらには辛さを語ったのだが、実はこのような気持ちは現代人も感じるものであろう。権力によって翻弄される人生は、決して過去のものではない。清張は菊池寛の歴史小説について「菊池寛の文学」(1988年2月)で、「つまり、過去の人間も、現代に生きる人間も、根本的な共通性に変わりはない。ただ、変わるところは社会制度であり、道徳であり階級制度であろう。こういう環境から生活は変わっていくけれども、人間本来のものは変わってはいないんだというのが菊池の考えのようです」と述べているが、これはそのまま清張の考え方であった。彼は過去の物語を語りながら、実は現代を語っていたのだ。