ビキニからのぞく豊満ボディで一躍…61歳で披露した熟女ビキニも話題!日本の母・「宮崎美子」の半生
女優、バラエティ…60歳を超えてもますます活躍の場を広げる
5月10日に公開された岩城滉一主演の映画『ラストターン 福山健二71歳、二度目の青春』で、岩城滉一演じる認知症を患った夫・健二を支える妻を演じているのが宮崎美子だ。 「日本一の女子大生になりたい」…”日本一かわいい女子高生&ミス青山”は大平正芳元首相の曾孫だった その自然体の演技や穏やかなルックスから、現在の日本の理想の妻、母親というイメージを一手に引き受けている一方、ほがらかな性格が視聴者にとっても印象がよく、女優としてだけでなく、バラエティ番組でも重宝されている。60歳を超えてもますます活躍の場を広げる宮崎のこれまでを振り返っていく。 宮崎美子は1958年生まれ、熊本県出身。熊本大学法学部卒業。大学在学中の1980年に『週刊朝日』の「篠山紀信が撮る!週刊朝日“キャンパスの春”」に応募。審査を通り、「週刊朝日」の表紙を飾る。この表紙がきっかけでコミカミノルタのCMに起用され「いまのキミはピカピカに光って~」という曲とともに、木陰で服を脱いで青いビキニ姿になるCMで大ブレーク。一躍時の人になる。 ◆わずか1年4ヵ月で離婚…トレンディドラマ全盛期に出演作はゼロ 同年、ドラマ『元気です!』(TBS系)で女優デビュー。1981年に『2年B組仙八先生』(TBS系)出演するなど、芸能活動を本格化。同時に国立大卒の知性を生かした「才色兼備の女子大生タレント」という、現在もバラエティには欠かせないジャンルの先駆けともなった。 1989年には『2年B組仙八先生』のアシスタント・ディレクターを務めていた男性と結婚。8年間の交際を経ての結婚だったものの、わずか1年4ヵ月で離婚。「婚姻届けを出したときから、わたしも彼も、違和感を感じていました」「(離婚の原因については)本当にうまくいえません」(微笑1992年8月29日号)と語っており、短い結婚生活は彼女にとって幻のようであった。この直後に芸名を宮崎淑子に改名したが、’00年にふたたび宮崎美子に戻している。 また30代になるとトレンディドラマ全盛期になるが、本人も「でも私は1本も出ていなかったんです」(美ST’19年6月号)と語る通り、女優として伸び悩む時期に。その時期を支えたのが、自らも転機となったと語っている、27歳のときに出演した黒澤明監督の映画『乱』だ。「黒澤明監督の映画『乱』に出会わなければ、今の私はなかったと思います。失敗するのが怖くて委縮していた私に、黒澤監督は『ありのままでいいんだよと』と声をかけてくださった」(婦人公論’20年9月8日号)と振り返る。