なんと、1秒間に数千対のペアをマッチングさせる…DNAポリメラーゼの「衝撃的な常識」
DNAポリメラーゼに与えられた使命
ここで重要なことは、DNAポリメラーゼというのは、あくまでもヌクレオチド重合反応、つまり「ポリヌクレオチド鎖を合成し、伸ばす」反応を触媒するのであって、DNAが二重らせんを形成し、さらに複製にとって最も重要な性質である「塩基の相補性」、すなわちAとT、GとCがそれぞれ正しい塩基対を形成する状態をつくる反応を触媒するわけではない、ということである。 いってみれば「伸ばしゃあいいんだよ、伸ばしゃあ」というのが、DNAポリメラーゼに与えられた使命なのである。 ただ、長い進化の帰結として、(1)DNAポリメラーゼ、(2)伸長されつつあるポリヌクレオチド鎖の末端、(3)鋳型となるDNA、そして(4)材料たるヌクレオチドの4者が、ちょうどうまい具合に集まったときの立体構造が、鋳型の塩基とヌクレオチドの塩基が相補的になったときに、DNAポリメラーゼ自身が「いちばんしっくりくる」ようになっている。 いうなれば、「結果として相補的な塩基をもつヌクレオチドがきちんと取り込まれるようになっている」のである。 この触媒の様式こそが、DNAがときどき「突然変異」を起こす遠因になっている、ともいえるのだが、それはまた次の機会に譲ることにする。もちろん『DNAとはなんだろう』では詳しく解説してあるので、ぜひ読んでほしい。ここでは、DNAポリメラーゼが「しっくりくる」とはどういうことなのかを確認しておこう。
右手モデル
「職人」とよばれる人たちには、長年の経験によって磨かれた卓越した技術がある。特に、手先や指先の絶妙な力加減や動きがその作品の出来を左右するような場合ーー機械による大量生産ではなく、一つ一つの作品がすべて手作業によるものの場合ーーには、なおさらその手技がものをいう。 ここで、読者諸賢にも一度体験してもらわねばならない。粘土をこねこねするのである。使うのは「右手」だ。 数センチメートルほどの直径の粘土塊を右手にとり、ギュッと握る。そうすると、親指以外の4本の指の跡がついた、ややいびつな塊ができあがる。その出来不出来をここで評価して成績をつけ、単位を落とすようなマネはしない。 この体験は、みなさんに「DNAポリメラーゼ」になったつもりになってもらうというものである。ただ、この場合は「右手=DNAポリメラーゼ」なのであって、「みなさん=DNAポリメラーゼ」ではないというところがミソだ。DNAポリメラーゼによるヌクレオチド重合反応は、「右手モデル」とよばれるモデルによって説明されるからである。 「右手モデル」と題した図(『DNAとはなんだろう』では、もう少し詳しい図を載せたのだが、ここでは少し簡便な図でご勘弁いただきたい)は、DNAポリメラーゼの右手モデルを示したものだ(同図上)。このとき、鋳型となる1本鎖DNAは、まっすぐに右手の〈手のひら〉(palm領域)にぶちあたり、そのまま折れ曲がって上方に伸びる。この〈手のひら〉が、ヌクレオチド重合反応の舞台であり、ここにDNAポリメラーゼの活性中心がある。 重合される新たなヌクレオチドは、この〈手のひら〉にやってくるわけだけれども、ただやってきただけでは鋳型の塩基ときちんとしたペア、すなわち、正しい塩基対をつくる塩基をもったヌクレオチドかどうかを判別することができない。判別できないと、「そこに山があるから登るんだ」的に、「そこに塩基が手を振って待ってるから来たんだ」とかいいながら、ペアとしては不適切な塩基をもってやってきたヌクレオチドを取り込みかねない。 しかし、その点は心配ご無用である。 右手モデルの〈4本の指〉(fingers領域)は、新しいヌクレオチドが〈手のひら〉に取り込まれるたびにパタンと閉まるようになっている。そのとき、正しい塩基対が鋳型と新しいヌクレオチドのあいだで形成されると、DNAポリメラーゼが〈しっくりくると感じとる〉からである(図「右手モデル」の下)。 なんらかのセンサーがあるというわけではない。タンパク質というのは、立体構造どうしの相互作用と、その〈フィットの度合い〉によってその後の反応が起こるか起こらないかが変わるので、立体構造の上で〈しっくりくる〉かどうかがとても大切なのである。 そして、この〈指パッタン〉は、1秒間に数十回も羽ばたくことで知られるハチドリもびっくりの超高速でおこなわれるらしい。DNAポリメラーゼはなんと、1秒間に数千塩基対ものペアをつくることができるのだ。それでもってさらに正確だというのだから、もう驚くほかはない。人間には不可能な大技であり、DNAポリメラーゼの常識は人間たちの非常識であるともいえよう。 * * * * * さて、DNAの登場以前から、すでに誕生していたRNAが自己複製して増えるという世界が存在していたとする「RANワールド仮説」というものがあります。続いては、この仮説においてポリミラーゼがどのような役割を演じ、進化してきとされるのかを取り上げます。 DNAとはなんだろう 「ほぼ正確」に遺伝情報をコピーする巧妙なからくり 果たしてほんとうに〈生物の設計図〉か? DNAの見方が変わる、極上の生命科学ミステリー! 世代をつなぐための最重要物質でありながら、細胞の内外でダイナミックなふるまいを見せるDNA。果たして、生命にとってDNAとはなんなのか?
武村 政春(東京理科大学教授・巨大ウイルス学・分子生物学)