任期末に繰り返される韓国政界ナンバー1・2の衝突、尹錫悦政権では任期半ばで勃発
韓国では政権与党の代表が現職の大統領を批判して対立が生じたケースが過去にもあった。しかし、そうした対立は大半が大統領の任期末になって表面化したものだ。国民の力の韓東勲(ハン・ドンフン)代表が、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の任期を半分(2年半)残す状況で「ミョン・テギュン通話録音」問題に関連し、尹大統領に国民への説明と謝罪を公に要求したことは異例の事態だ。政権のナンバー1・2が衝突し、分裂へと突き進み、政権維持に失敗した例も多い。尹大統領と韓代表の対立が与党の早期分裂につながるのではないかと懸念する声が出るのはそのためだ。 【早わかり】韓国政治史で繰り返されるナンバー1・2の衝突
過去に大統領と与党代表が公然と衝突した代表的な例としてはまず、金泳三(キム・ヨンサム)元大統領と李会昌(イ・フェチャン)元新韓国党総裁を挙げられる。 大統領選2カ月後に控えた1997年10月22日、当時総裁で大統領候補だった李会昌氏は記者会見を開き、「名誉総裁」だった金泳三大統領の離党を公に要求した。李会昌氏は金大中(キム・デジュン)新政治国民会議総裁の秘密資金疑惑を指摘したが、金泳三政権が捜査を大統領選後に先送りしたため、決別を宣言したのだ。李会昌総裁の支持者らが金泳三大統領の人形を焼くなど、新韓国党は深刻な分裂に突き進み、金泳三大統領は16日後に離党した。しかし、金泳三系の李仁済(イ・インジェ)氏が独自出馬し、500万票近く得たことで、李会昌氏は大統領選で金大中氏に敗れた。 2007年には与党開かれたウリ党(ヨルリンウリ党)の議長を務めた鄭東泳(チョン・ドンヨン)国会議員による大統合民主新党結党計画に盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が反対して衝突した。鄭東泳氏はウリ党の解散で結党された大統合民主新党の大統領選候補になった後も、イラク派兵の延長などを巡り盧武鉉大統領と対立した。鄭東泳議員も同年の大統領選で、ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)候補に敗れた。