父・中村勘三郎を亡くして12年。「父が死んだら変わってしまうんだ」と思ったこともあったけれど、できることを必死にやって【勘九郎×七之助】
十八世中村勘三郎さんが亡くなってから今年で12年。息子の中村勘九郎さん、七之助さんは、十三回忌追善興行の真っ最中です。ともに舞台に立つ子どもたちの成長を眺めながら、2人の胸に去来する思いとは――(構成=篠藤ゆり 撮影=岡本隆史) 【写真】浅草公会堂で『猿若揃江戸賑 厄祓浅草祭』を舞う勘九郎さん * * * * * * * ◆父を愛してくれた先輩方に助けられて 勘九郎 2月から歌舞伎座を皮切りに、父の十三回忌追善の公演が始まりました。この1年はありがたいことに、10月までさまざまな公演が予定されています。父がいなくなってから12年、あっという間でしたね。 七之助 生きていたら、今68歳。いくらなんでも早過ぎた。 勘九郎 亡くなってすぐの頃は、悔しい思いもしたね。役がつかなくなるし、気がつくと周りから人がいなくなっていたり。 七之助 父はプロデューサーとしての感覚に長けていて、若い人にも歌舞伎を観てほしいという思いから、チケット代をなるべく抑えるよう興行主側と交渉していたんです。でも、父が亡くなったらチケット代が上がってしまって……。 今になって思えば興行主側の事情も理解できるのですが、当時は僕たちの心も弱っていたので、つい「父が死んだら変わってしまうんだ」という捉え方をしてしまうところもありました。 勘九郎 なんとか自分たちにできることをやっていこうと、必死だったね。 七之助 ありがたいことに、(片岡)仁左衛門のおじさまや(坂東)玉三郎のおじさまをはじめ、父を愛してくれた諸先輩方が僕らを助けてくださいました。仁左衛門のおじさまが2014年12月に京都・南座で行われた顔見世興行に呼んでくださったり。 勘九郎 そうだったね。昨年5月の平成中村座姫路城公演では、『天守物語』を上演させていただきました。
七之助 『天守物語』の富姫は46年間、玉三郎のおじさまが演じてらした役。物語の舞台である姫路城で公演を行ったからこそ、実現した演目です。そうでなかったら、畏れ多くて手を出せなかったと思います。 勘九郎 現地では、ほぼ11時間ぶっ通しで稽古。玉三郎のおじさまの熱血指導、本当にすごかった。 七之助 快く演出まで引き受けてくださり、富姫役の僕の指導だけではなく、姫川図書之助(ずしょのすけ)役の中村虎之介の指導から照明のことまですべてを細かく見てくださって。惜しげもなくいろいろなことを教えていただき、僕にとっての宝物となりました。 勘九郎 ちょうど今、歌舞伎座で上演している『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』には、仁左衛門のおじさまが出てくださっています。 父と仁左衛門のおじさま、玉三郎のおじさまが共演した14年前の『籠釣瓶』は本当に素晴らしかったし、いつか自分も、と思っていました。十三回忌追善で七之助と一緒にできるのは本当に嬉しいし、父も喜んでくれているんじゃないかな。 七之助 僕らは、兄弟で立役と女方を演じているのも強み。それによって、演目の幅も広がっていったと思います。 勘九郎 父も生前、それはよく言っていた。中村屋にとって大きなことだから、兄弟仲よくしなさいと。 七之助 そこに兄の長男の勘太郎、次男の長三郎が加わって。 勘九郎 もちろん鶴松をはじめ、中村屋一門の力も大きいね。