沖縄の児童ら犠牲者を追悼 平和学習で奄美大島訪問 「対馬丸事件」から80年
太平洋戦争中、沖縄から長崎に向かっていた疎開船「対馬丸」が米潜水艦に攻撃され約1500人が犠牲になった事件を学ぶ「第3回対馬丸平和継承プログラム」の学習活動が14日、鹿児島県奄美大島の宇検村であった。沖縄県那覇市の対馬丸記念館を運営する対馬丸記念会(髙良政勝会長)主催の事業で、奄美大島での開催は初。沖縄の小学5、6年生15人と引率者7人が来島した。多くの遺体が流れ着いた同村の船越(ふのし)海岸にある慰霊碑を訪れ、手を合わせて犠牲者を追悼した。 対馬丸は1944年8月21日に那覇港を出発。22日、悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没した。今年は事件から80年となる。 同事業は事件を次世代に継承することを目的に2022年から実施。今回、児童らは13日に那覇港からフェリーで出発し、船上で慰霊祭を行った。14日は宇検村元気の出る館で元村長の元田信有さん(74)による講話を聞いた後、慰霊碑を訪れた。
元田さんは、自身が村長だった2017年に住民の要望を受けて設置した慰霊碑について「建てることが目的ではない。二度と戦争をしないよう、平和教育に使っていくことが必要」と思いを語った。 船越海岸では、児童らが悪石島の方角に向かい黙とうをささげた。慰霊碑に焼香、献花した後、遺体が流れ着いた海岸で当時の出来事に思いをはせながら、平和の尊さをかみしめた。 与那原東小学校の児童は「慰霊碑として形に残して次につなげていくことは大事だと思った。(学んだことを)学校でみんなに話して広めたい」と力を込めた。 奄美市笠利町から自主的に参加した赤木名中学校の生徒は「(対馬丸事件について)知らなかったので興味深かった。慰霊碑を建てた思いが伝わった。悪石島や沖縄の慰霊塔にも行ってみたい」と話した。 引率した対馬丸記念館の平良次子館長(62)は、母の故啓子さん(享年88)が同村枝手久島で救助された生存者。「慰霊碑をきっかけに奄美と沖縄の交流が広がってほしい。子どもたちが戦争を食い止める平和のとりでになってくれたら」と語った。