<アグレッシブ・’21センバツ東海大甲府>第2部 支える/5止 八巻英世校長 人生最高の試合を /山梨
◇母校との対戦心待ち 東海大甲府の八巻英世校長(51)は自身も元高校球児で、教員を志した原点には野球部の村中秀人監督との出会いがある。 八巻校長は小学5年生だった1981年、後楽園球場(当時)で巨人対中日戦を観戦し、プロ初本塁打を放った原辰徳選手(現監督)に感銘を受けた。原選手の母校、東海大相模(神奈川)に憧れ、進学する。同級生には現在、同校野球部を率いる門馬敬治監督らがおり、共に甲子園を目指したが、最後の夏の県大会は決勝で敗れ、夢はかなわなかった。 東海大を経て、いったんは自動車販売会社に就職した。しかし、大学4年生の時に保健体育の教員免許取得のために東海大相模で受けた教育実習が忘れられず、「教員に対する憧れが膨らんでいった」という。91年6月に約3週間、同校に通い、昼間は保健体育の授業を担当し、放課後はかつて所属した野球部の練習を手伝った。その時、監督を務めていたのが村中監督だった。 当時の高校野球界は「監督の言うことは絶対」という風潮が根強かった。それに対し、村中監督は主将ら選手とコミュニケーションを密にし、選手の体調に合わせた練習をしていた。選手の自主性も重視した。「決して押しつけない。新しい指導を見た気がした」と語る。翌92年春、東海大相模は17年ぶりのセンバツに出場し、準優勝を果たす。「教員をしながら、野球にも携わりたいと強く思った瞬間だった」 八巻校長は約7カ月で会社を辞めた後、教員試験の勉強を続け、採用試験に合格。94年4月から東海大市原望洋高(千葉県)で働き始めた。野球部にもコーチとして関わった。 東海大甲府には2019年4月に赴任した。野球部の練習は定期的に顔を出し、昨年の秋季大会は関東大会を含め、全試合を球場で見守った。現チームについて「雑なプレーがなく、楽しそうにプレーしている。甲子園に行けなかった3年生の影響もあると思う」と語る。八巻校長と村中監督の母校、東海大相模との対戦が決まったセンバツ初戦。「人生で一番楽しかったと思えるような試合をしてほしい」と話す。【金子昇太】=おわり