南極氷山で流しそうめん、昭和基地では本格フレンチ…「南極料理人」が語る“極地の1年間”
絶叫する60度
2022年11月11日、越冬隊28人を含む南極観測船「しらせ」は東京の青海を出航した。 昭和基地までは6週間かかる。船内では、南極についての勉強や安全講習、現地で使う食料の仕分けを行った。中川さんたち64次隊は日本からしらせに乗って南極を目指したが、これは異例だったという。 「通常はオーストラリアまでは飛行機で移動し、そこからしらせに乗り込みます。ところがまだコロナ禍でしたので、出発前1週間、ホテルでPCR検査を受け、隔離生活を送りました。そのまましらせに乗り込んだんです。そうした措置は寄港先のオーストラリアでも同じで、船から下りることは一切出来ませんでした。いわば、南極までずっと隔離だったんです」 オーストラリアを離れたしらせは海の難所を通ることになる。南極に入る前、しらせは暴風圏を通過する。南緯40-60度のその海域は、「吠える40度、狂う50度、絶叫する60度」と表現されるほど酷い。偏西風や南極還流の行く手を遮る陸地がないため、1年を通じてとても強い風や高い波が発生するのだという。2022年12月8日の観測隊ブログによると、次の通り。 《船は時折大きな横揺れを起こし、船内ではまっすぐ歩くことが難しく、食事の際は積んであった食器がひっくり返るなど悲鳴が飛び交う状況でした。この日は現行「しらせ」史上最大の傾き30度を記録したとの事で、「狂う50度」は我々にとって絶叫する50度となりましたが、操舵室に上がって船首から波が飛び散る様子を楽しむ隊員も多く見受けられました》。 中川さんはこのときどうだったのか。 「4日間か5日間。はっきりしないですが、ものすごく揺れたことだけは確かです。私は大丈夫でしたが同室だった隊員は船酔いが酷くて、その間ずっとベッドに横になったままでした」 その先は南極らしい風景が広がってくる。 「流氷があちこちに浮いていました。その一帯を超えると定着氷が立ちはだかり、進むのが困難になりました。すると『しらせ』は、いったんバックするんです。勢いをつけて氷にぶつかるという方法で氷を割り進んでいきました」