「メイクを落とす概念がなかった」肌はボロボロ、鏡も見れず…“伝説のヤマンバギャル”あぢゃ(41)の衝撃の現在
日焼けサロンは「週8」で
――お風呂などは? あぢゃ お風呂に入りたくなったら、ヒッチハイクで海に行って、ワキと股間を洗ってまた渋谷に戻って。そのまま海の家でアルバイトをすることもありました。 あと、日焼けサロンのチラシを150枚配ったら30分無料みたいなのもあったので、そういうのも駆使しながらお金がなくても暮らしていました。 ――家はないけど、日サロには通っていたんですね。 あぢゃ 日焼けサロンは「週8」で通っていました。最初は、センター街の真ん中でみんなで川の字で寝て焼いていたんですけど、それじゃ全然足りなくて。 日サロで焼いたら一発でしたね。色むらもないし、短時間で綺麗に焼ける。あと、歩く時は日陰を絶対に通らなかったですね。直火(太陽光)も絶対に無駄にしないみたいな。少しでも日焼けをサボると白くなった気がするので、日サロだけは欠かさずに行っていました。
派手なギャルがたくさんいたから目立つためにガンガンに黒くして
――その頃はあの「ヤマンバギャル」は完成していたのでしょうか。 あぢゃ いや、当時はただの黒ギャルでした。元々母がミニクラブを経営していたので、派手なメイクの道具が家にたくさんあったんですよ。そのノリで「Popteen」や「egg」、「Ranzuki」を見てギャルかわいいって思って。中学の先輩にも急にヤンキーからギャルに転身したかわいい人がいたんです。 それに憧れてメイクを始めたんですけど、最初の頃は「チャンプロード」に出てくるような金髪で赤い口紅みたいな、そういうメイクをしていました。 で、そこからだんだんと黒ギャルになって、家の屋上でほぼ毎日友達と体を焼いていました。高校生の時はメッシュ入れて、青のアイシャドウをガン塗りして。 ――だいぶ派手な高校生ですね。 あぢゃ 中学の時は髪色が金髪だったんですけど、高校受験で一回黒染めしないといけなくて。その反動で入学してからは、やりたい放題でした。ミニスカでルーズソックス履いて、持ち物はとにかくデコるみたいな。 それでも渋谷に行くと全然目立たないんですよ。もっと派手なギャルがたくさんいたから。で、目立つために、日サロで焼いてガンガンに黒くして。顔とかも隠さずに焼いていました。日焼け止めとか意味わかんねーみたいな。 ちょうどその頃、ゴングロ三兄弟っていうのが流行り始めたんです。ヤマンバギャルの走りみたいな。全身真っ黒で唇は真っ白。それを見たときに、こっちも進化しないとと思って、メイクをどんどん濃くして。